ヽ ( うぇい!
ノ )
く く
厶\)
じゃあ書いてくとするかw
転載禁止ィィィィwwwwwwwwwwwwww
地元の小学校、中学校を卒業
中学時代に少しいじめに合う
高校は定時制に通いながらバイトをするが続かない
20歳の頃からYahoo!チャットにはまる
口癖は「ヤフーチャット万歳!」
つまんねえええええ
あ、みすった
>>10
じゃ、かくわ。
どうせかそってるし
平成元年春
東大阪で生を受ける
兄弟は無し
東京生まれ東京育ちの母と
大阪生まれ大阪育ちの父のもと、
私立の幼稚園にすすむ。
いわゆる英才教育を受け、
小学校入学前には掛け算割り算はできるようになり、
習い事は、ピアノ、バレエ、体操、くもん、学習塾、絵画教室、歌の教室
って感じで友達と遊んだりは殆どしなかった。
ちょうどその頃、父親の浮気が原因で両親の別居が決定。
母は私を連れて、東京の実家に出戻った。
ので、私は東京の小学校に通うことになった。父には何の相談もせず、母の独断で勝手に東京の小学校の入学手続きを済ましてしまったらしい。
母方の祖父母は、私が初孫だった為か、それはもう溺愛された。
祖父は割と大きい会社の社長(現会長)だったんだけど、フリフリの格好させられて、取引先との会食やパーティーにもよく連れていってくれた。
祖母は、祖父とは違う会社で、テナント業をやっていた。
つまりビル貸し。
大体が池袋周辺のビルやマンションだったから結構儲かってたみたい。
ただ、祖母は幼少時代めちゃくちゃ貧乏だったらしく、金にがめつくて欲が凄い。
電気代がどうとか電話代がどうとかヒステリックな程うるさかったし、何かしら金のことで毎日誰かと揉めていた。
そんな祖母が小さいながら醜く思えた。
女です
祖父は普段は優しかったけど、切れると包丁持ち出したり、ゴルフクラブ振り回したりしちゃう人だった。
そんな祖父母から生まれた母は、今でいうメンヘラに近い性格だった。
私が小学校に上がると、すぐに両親の離婚が決定した。
それと同時に母は酒に溺れるようになった。
朝5:00にベロベロで帰ってくることもあった。
酷いときは、酔って帰ってきて、夜中3時に起こされて「勉強しろ」って絡まれたりもした。
age
おそらく、若い女になびいた父を見返したかったのかもしれないけど、母の私の学力に対する執着は常軌を逸していたと思う。
あ、ちなみに父は結局その浮気相手と再婚して今もラブラブなんですけどw
塾も、近所で良いと評判の所は大体通わされた。
運動は本当に才能がなかったので、週一回テニススクールに行き、ピアノは先生が家に来てくれてた。
ただ、運動と楽器に関しては本当に才能が無かったみたいで、何の上達もしなかった。
ピアノは5年くらいやってたけど、エリーゼのために、しか弾けないし、テニスも素人レベル。
ただ勉強は違った。
小学生だから頭がまるかったのかな。
学力はメキメキとあがり、学校のテストではいつも満点だし、塾のテストでもそんなに悪い点数を取ることはなかった。
サピッ○スていう厳しいで有名な塾に通ってた時期も、最上クラスに所属していた。
でも理数系が苦手だったため、四谷○塚の全国模試とかで、時たま60点代台を取ってしまうこともあった。
そんな結果の時の母の対応は酷いものだった…と思う。
実家には螺旋階段があるんだが、そのてっぺんから突き落とされたり、髪の毛を掴まれ引きずり回されたり、ヘアブラシで殴られたり。
でも、当時の私は暴力をふるわれるのは至って普通のことだと思っていた。
幼稚園の時から度々あったし、暴力を振るわない時の母は、料理を教えてくれたり、服を買ってくれたりして、優しかったから。
でも学年が上がるにつれ、母が優しい時間が徐々に減っていった。
大体が酔ってるか、怒ってるか。
今考えると、精神病だったのかもしれない。
だが、小学生だった私にとって、母親はただただ「苦手な人」になっていってしまった。
そして、その気持ちに比例するように、成績が落ちていった。
いや、周りの人達の成績が上がったのかもしれない。
ただ私は、「勉強がだるくなった」。
元々楽しくて勉強していたわけじゃない。
怒られたくないから、殴られたくないから、ちゃんとやっていただけのこと。
ちゃんとやっても殴られるのであれば、やらないのと同じだ。
一度苦手な算数の試験で98点だった時があった。
軽い足取りで帰宅し、母に用紙見せると、暫くの沈黙の後に、無言のビンタが飛んできた。
なんで叩くの、の問いに
100点じゃないから、と答えた母の顔は、私にはのっぺらぼうに見えた。
それからはカンニングしたり、採点をごまかしたり、塾をサボってコンビニで立ち読みしたり、とにかく嘘をつくのに必死な毎日だった。
しかし、そんな事は直ぐにバレるわけで。
ばれては殴られの繰り返しだった。
小5から家庭教師を雇っていたのだが、家庭教師の先生に勝手に電話して、今日は具合が悪いのでキャンセルで。って断ったこともあったw
そんな母親がいるのによくそんな勇気あったな
>>40
うん、今でも変に度胸があると言われる。
私の成績が停滞すると、母の酒癖はより悪くなり、祖父母の機嫌も悪いことが増えた。
それでなくても元々ヒステリックな家族だ。
気づけば家は罵声、怒号で溢れていた。
15:00くらいから酒を飲み始め、夕飯を作り、私が塾に行っている間に外に飲みに行って、26:00~29:00に千鳥足で帰ってくる。
母の生活にそういうサイクルが定着した。
外に飲みに出ないときは、私の勉強を監視しながら飲んでいた。
まさに酒浸り。
酔うと掃除もまともにできないし(掃除に関しては元々嫌いだったみたいだが)、朝も起きれないので、朝っぱら私が登校する前から、祖母の甲高い怒鳴り声が響いていた。
ある日の夜中、ゴトッバタンみないな音で起きて、隣の部屋にいくと、床で祖母と母が首を絞めあってた。
びっくりして「何してんの!!!」って言って2人の腕を掴んで無理やり引き剥がした。
2人ともハアハアと肩で息をしていた。
理由は特になく、いつもの喧嘩の延長線上だったようだが、こっちとしては気が気がじゃない。
本気で殺し合いをしたわけではないかもしれない。が、冗談でも母娘で首を絞め合うなんて、もし力加減をミスって死んでしまったら取り返しがつかないじゃないか。
その時は心から2人を心配した。
しかし、それからというもの、同じようなことが何回も起き、最初の内は心配してた私も「また?めんどくせえ」という冷めた反応しかできなくなっていた。
とにかく眠りを妨げられるのが本当にイライラした。
>>50
まだ健在ですw
だれだおまえ
この頃には家族は壊れきっていた。
家族の誰と話しても9割が喧嘩に繋がった。
面倒だからはしょるけど、祖父もいい加減ブチ切れて、出刃包丁で母を刺そうとしたり、ナイフを私の部屋のドアに突き刺したり、象牙のピアノをゴルフクラブでメタメタにしたり、とかの事件をいくつも起こしていた。
そんな中、唯一心を開ける存在がいた。
母の妹(つまり叔母)、優ちゃんだ。
優ちゃんは名前の通り優しくて、面白くて、永作博美に似てて、細くて、元ヤンだった。
ちなみに母は四人兄弟
長男
母
優ちゃん
次男
という構成です。
まだ両親が離婚する前、母はバセドウ病になって長期入院をしていた時期がある。
その時、わざわざ東京から大阪まで来て、私の母親代りになってくれたのが優ちゃん。
爪を切ってくれたり、耳掃除してくれたり、デパートの屋上で遊ばせてくれたり、すごく仲良しだった。
優ちゃんは晩婚だったため、ずっと本当の娘のように私をかわいがってくれた。
>>57
確か30台後半とか
>>60
ごめん。今計算したら優ちゃんは33歳で結婚して34歳で出産してます。
母と喧嘩した時、頭に血がのぼって物を投げようとしてしまったことが一度ある。
その時、優ちゃんに平手打ちをされた。
優ちゃんが私に手を上げたのはこれが最初で最後だった。
「お母様はいつも私をなぐるのになんで私はやり返しちゃ駄目なの」
「親だから」
いや、理不尽だろ、とは思ったけど、優ちゃんが本気で怒ってるのが分かったから、反抗しなかった。
ちなみに優ちゃんには息子が2人。
上の子が今18、下の子が12かな。
そして私は24。
本筋に戻るけど、
家庭は崩壊したまま私中学生になった。
中学受験前、二ヶ月くらいは家庭教師が泊まり込みで勉強して、小学校にも通わせてもらえなかった。めっちゃ太ったw
にもかかわらず、第一志望は落ち、神保町にある某女子校に入学した。
そこでは割と成績優秀な方だったが、人間関係が上手くいかなかった。
あまり仲良い友達もできなかったし、一部のバスケ部連中からいじめられた。
人見知りではないが、異常に空気を読めなかったせいだと思う。
いじめといっても暴力はなく、パシリが大半だった。
地下の自販機や購買まで5-6人分のジュースと昼食を買いに行く。
もちろんお金は私持ち。
で、その鬱憤をはらすため、私は担任の先生をいじめていた。
その先生は顔に大きめの黒子がふたつあったので(今思うと普通の好青年)、「ホクロ毛」って呼んだりしてた。
黒子から毛は生えてなかったと思う。
でもなぜか「ホクロ毛」だった。
そして残念ながら、そのニックネームは定着してしまい、教師イジメは徐々にクラス全体へ広がって行ってしまった。
ホクロは社会科担当だったが、黒板に日本地図を書いた時、半島をひとつ書き忘れ、私がこれ見よがしにそのミスを指摘したことが原因で、「ホクロ毛はきもいし馬鹿だ」みたいな風潮になっていった。
まさか1人の冴えないいじめられっこである私が始めたささやかな嫌がらせ(最初は地味にチョーク隠したり、教壇をチョークの粉まみれにする小さな嫌がらせを1人でやってた)がクラス全体に伝染するとは思ってなくて、だんだん怖くなっていた。
でも後には引けず、イジメの規模も少しずつ大きくなっていく。
小さい声で「きもい」等の言葉を冗談混じりに言っていたのが、面と向かって「きもいので帰ってもらえませんか」になり、「帰れ」になり、「しね」になった。
ホクロの授業で当てられても無視だったのが、そのうち誰も教科書を出さなくなり、机を後ろに向けるようになり、ドアが開かないようになった。
私立ってどこもこんななのか
ホクロいじめはどんどん加速して、その中心にいるのが嫌だった私は教室にいることが少なくなった。
私が始めたのにズルいとは思うが。
保健室、屋上、屋上の脇の物置が私の居場所となった。
友達の少ない奴が行くところは大体決まっているようで、たまに別のいじめられっこと遭遇したりした。
そんな時は特に会話もせず並んでお弁当を食べたり、コックリさんをしたこともあった。
私に対するいじめは逆に減速していった。
バスケ部連中もホクロいじめで満足していた様だったし、そのバスケ部グループでも1番強かった生徒に、ハワイのお土産をあげた事も起因していると思う。
別に媚を売ったわけじゃなくて、ただその子はとても美人だったから、あげたいなと思った。
まあ意図せずにして、私はいじめのターゲットを移す事に成功したわけだ。
望んでないけどね。
書けないなら嘘ってことで
嘘だろうがホントだろうが面白きゃいいだろ
お前VIP向いてないよ
連投してしまった!
ごめん。
いじめはなくなった。
成績もまずまず。
そして私にも何人か遊び友達ができた。
ただ私はグループに属することはせず、例えばヲタグループの中ではAちゃん、ギャルグループの中ではBちゃん、って感じで友達になって、遊ぶときは大体が2人きりだった。
これでいい?
でも別に転載されてもいいんだよね
あ、こいつ知ってるっていう人もいるかもしれんしw
その中には普通にいい子も居たけど、手癖が悪い子もいた。
マツ○ヨとかですぐ万引きしちゃう。化粧品とか、髪を徐々に脱色するミストとか。この時は私はお金に困ってなかったから、万引きに興味なかった。
親の財布からはお金抜いてたけどね。
あと、渋谷大好きな子も居た。
太ってるんだけど、顔はブスじゃなくて、よく学校サボって渋谷のカラオケに行った。
名前は綾とする。
この頃、渋谷のセンター街に、やたらと芸能界に詳しいおっさんがいることを知った。
そのおっさんはほぼ毎日同じ所にたっていて、若い女の子にジャニーズ等の裏情報を流していた。
嘘か本当かはしらないけど。
私はジャニーズにあまり関心はなかったけど、綾は嵐オタクだったから、そのおっさんによく喋りかけてた。
ほぼ毎日渋谷に行って、そのおっさんに私達の顔と名前も覚えてもらった頃、別のジャニーズファンの歳上(多分当時17くらい)の女の子達と仲良くなった。
この時私達は中2。
メールアドレスを交換して、渋谷でたまたまあった時クレープを奢ってくれたりした。
そのお姉さん達から20:00くらい「ご飯食べに行くから渋谷おいで」というメールが来た。
「塾があるし親が厳しいから行けない」
そういうやり取りが何度か続いた後、お昼久しぶりにお姉さん達に会った。
その時、親厳しいんだ??というような始まりで、会話の流れは私の母へ。
前述した母の素行を知った彼女たちは「え、それって虐待じゃん」と言った。
それには私も驚いた。
まさか自分が虐待されているとは夢にも思ってなかったから。
あ、そうか、私虐待されてるんだ。
そう自覚してからの私はそれを母との喧嘩の武器にし始めた。
「これって虐待なんだよ」
「犯罪なんだってよ」
「通報してやる」
そのような私の言葉で母が怯む表情を見るのは何ともスカッとした。
>>88
ホクロ毛先生には一年生の終業式、先生が教室で机並べてるの見かけて、手伝って、謝った。
謝って済むことじゃないと思うけど。
悪かったとは今でも思ってる。
秋くらいかな?
バスケ部のひとりに、「おいデブ邪魔なんだよ」と言われて足を引っかけられた。
なぜかその時、無性にイラついてしまい、その次の休み時間、その子の財布が剥き出しになっているのを発見、五千円札を抜き取った。
綾も共犯だった。
窃盗したのか
>>90
ですね。
まあ、すぐに大問題になって、小心者の私は、盗ったのは私です。とその日のうちに白状し、五千円札をその子に返した。
綾のことは言わなかったけど、一緒に廊下を歩いてるのを誰かに見られていたみたいで、綾が共犯なのもすぐにばれたみたい。
そして、私と綾は中2の秋、退学になった。
油断しすぎやろwww
>>93
机の着替えの上に置いてたんです。
親と祖母はそれこそ発狂してた。
祖父と優ちゃんの反応は憶えてない。
すぐに手続きをして地元近くの公立中に転入した。
転入初日、好きな男子が出来る。
クラス委員長?で野球部のエースの生田くん。
生田斗真に似てるから、生田くんって呼ぶことにする。
生田くんは外面がとても良くて、転校初日とまどってる私に色々教えてくれた。
女子校で男慣れしてなかったわたしは直ぐにメロメロになった。
席も近かったし。
で、私の公立中生活がスタートした。
私立とは勝手が違い、セーターの色やスカート丈に規制があまり無いこと、挨拶は「ごきげんよう」じゃなくていいこと、部活は強制じゃないこと、何より勉強が簡単な事に驚いた。
転校を機に塾も茗荷谷に移った。
転載はどっちでもいいですよ!
需要があるなら。
まとめさん、オッケーだそうです!
ただやっぱり空気が読めないのは相変わらずで、特別仲良い友達はできなかった。
転校してから、私立の友達とは疎遠になった。
ただ生田くんやその周りの計らいのお蔭で、給食の時間等は会話に困ることはなかった。
その学校は、転入生が結構頻繁に来ていて、皆突然の転入生に慣れていた、っていうのもあるかもしれない。
生田くんはいわゆるスクールカーストのトップで、その下にその他野球部、サッカー部、バスケ部、水泳部、文化部っていう感じだった。
その為、生田くんと仲良くなると、他の体育会系の男子も普通に良くしてくれた。
言っておくと、決してモテてたわけではない。
多分先生が「新しく来る生徒は私立から来るお嬢様だからしっかり面倒見てあげてね」とでも言ったのだろう。
ちなみに、私は腐女子でもないし、オタクでもなかった。
ただただ「イケてない女子」だったと思う。
服も殆ど母が買ってくるものを着てたし、髪型も母が決めたものを、母の行きつけの美容院でしてもらっていた。
当時縮毛矯正が流行ってて、イケてるグループの女の子は皆「ストンっ」って感じのストレートだったが、私は毛先にシャギーを入れてて軽くうねってた。
体型も女子校に比べると公立は細身な子が多く、私はポッチャリ地黒だった。
加えて私は、とても早口で、空気が読めないため、女子の友達が全くできなかった。
空気が読めないから早口だったのかもしれないけど。
皆が嵐やKAT-TUNに騒いでる時も、私だけキングギドラと福山雅治が好き、とか言っていた。
まあキングギドラ好きは男子受けは良かったみたいで、水泳部のハーフの男子とよくCDの貸し借りをしていた。
あと、公立中の中では勉強は出来たので、勉強を教えてくれと頼まれる事もあった。
私が仲良くしていた男子の殆どが彼女もちで、その彼女の殆どが、女子カーストの上位グループだった。
そのせいで、私は女子の上位グループから反感を買うことになる。
めんどくさい女たちだな
ここではいじめ等はなかったが、何と無く「1ちゃんって取っ付きにくいよね」みたいな陰口が他クラスの女子にもまわっていったようだった。
そんな中でも、あんまそういうのどうでもいい、みたいなクールな女の子が居て、その子は気付けば毎日一緒に帰る仲になった。
船子と呼ぶことにする。
船子とは帰りしなに公園で喋ったり、学校近くの霊園で隠れん坊したりした。
あとたまに、コンビニで缶チューハイを買って飲んだりもした。
当時はまだ酒やタバコを買う時、年齢確認はされなかったのだ。
制服でも注意されなかった。
ちなみに>>110からは中3の話です。
私がタバコを吸い始めたのも確かその時だったと思う。
船子の先輩が吸っていたのだ。
1ちゃんも吸ってみ?みたいなよくあるノリで、まあ体良く言えば「吸わされた」。
習慣になってしまったのは自分のせいだろう。
そして、その先輩が私の初体験の相手でもある。
生田くんが好きだったが、叶わぬ恋だったため、適当に告白され、適当に付き合い、適当にセックスした。
痛すぎたのと、いきなりク○ニされたのが気持ち悪かったのと、終わったあとすぐ先輩がオシッコにいったのとで、セックスした次の日に別れを告げた。
初彼氏である。
勉強になったわ
この頃塾でも仲良くなった子がいた。
中島美嘉をもう少し丸くさせて黒髪ショートヘアにした感じの明るく真面目な女の子。
美嘉と呼ぼう。
真面目と言っても、私の中では真面目というだけで、普通から見ればちょっと不良気味ではあったかも。
タバコは吸わないが、ブルセラしてたw
公立中に行ってから、色んな人(主にヤンキーぽい人たちだけど)と出会い、会話することによって、私の空気読めない病はだいぶマシになり、早口も少しは治った。
ご飯たべてきます!
了解!
保守するぜ
遅いなwww
保守ありがとうございます。
ある日船子と公園に居ると、船子の友達が合流した。
木下優樹菜に似てるから優樹菜と呼ぶ。
金髪、ルーズソックス、超ミニスカ、付けまつ毛、濃い化粧、キティーサンダル。
見るからに「ヤンキー」といった風貌の優樹菜とは初対面だったが、私と同じ中学に在学しているらしかった。
ただあまり登校しないし、しても保健室だから、転入生である私は見たことがなかったのだ。
あ、ちなみに優樹菜は生田くんと中1の最初付き合ってたらしい。
今から病院行ったり洗濯したりするんで、更新ちょくちょくになっちゃっても大丈夫ですか?
構いませんよ!
優樹菜には兄がいて、兄も不良だったため、必然的に優樹菜もそっちの道に惹かれたのかもしれない。
優樹菜は粗暴なところもあるが、何でも正直にいう素直であっけらかんとしている性格で、少し憧れた。私と優樹菜はそれから公園等でよく会うようになった。
この時期から私は門限を五分でも過ぎると親に殴られたりするのが嫌で、ズルズルとオールすることが度々重なった。
あ、あと前述した渋谷のお姉さん達は、親に電話番号消されたりして疎遠になりました。
門限をすぎた後の母や自宅からの着信は尋常じゃなかった。30分から1hで履歴マックスを超すのが当たり前。
まあ門限までに帰ればいい話なのだが、どうにも反発心が邪魔した。
>>127
今病院の待合室ですw
そして、中3のある日。
たしか長袖だったから冬だったと思う。
私は優樹菜と2人で家出をした。
寒かったのでとりあえず寝れる場所と、シャワーも浴びたかった。
優樹菜が携帯でスター浜という出会い系サイトにアクセスし始めた。
「中学生2人を泊めてくれる方」といった書き込みをしたら、くるわくるわ、メッセージの山。
あ!
今気付いたけど私1じゃないのに勝手に1の体で話進めてしまってる!!
ごめんなさい、>>10でした。
そうだったなw
>>1は今どんな顔してんだろwww
遅くて申し訳ありません!
保守ありがとうございます。
>>136
一応実話です。
優樹菜がピックアップした優しそうで近場の男性と連絡をとり、ドンキで色々(制服じゃまずいのでスウェットとか靴下とか歯ブラシとかサンダルとか)買ってもらってその人の家へ。1dkくらいのアパートだったと思う。
なぜか私はその人に気に入られ、私達が寝ていると私の隣に来て、頭を撫でられたw
怖くて気づかないフリをした。
あと、時系列ぐちゃぐちゃになってしまうけど、家出する前くらいから母が自殺未遂をするようになった。
睡眠薬を酒で流し込んでいるようで、意識は無く、涙もおしっこも垂れ流し。
体拭いてあげて、パンツとか履き替えさせて、救急車を呼んだ。
ベッドのマットとかシーツを洗濯してる時、情けなくて涙が出た。
それも家出のひとつの要因だったのかもしれない。
話は戻って、朝男性がカップラーメンとかは好きに食べていいから、みたいな私たちを気遣う言葉を残して仕事に行った。
私は少し具合が悪かったので寝ていたが、昼過ぎに優樹菜が「起きて、出ていくよ」と言った。
慌ててる様子だったので、急いで用意をし、昨晩買って貰ったものを学生鞄や紙袋に詰め、男性の部屋をあとにした。
しばらく歩いて目についた公園のアスレチックに腰をおろすと、優樹菜がウキウキした顔で紙袋から500円玉がたくさん入ったビニール袋を取り出し、見せてきた。
嫌な予感は大抵当たるものだ。
男性の家のキッチンにあった貯金箱の中身をそっくりそのまま持って来てしまったらしい。
数えたら9万くらいあった。
まじかお前、ちょっとやりすぎ、と言ったが、だってお金なかったら生活できないじゃん、と優樹菜が反論してきたので、それ以上何も言えなかった。
9万なんて中学生からすれば大金だ。
数時間すると、私の罪悪感も次第に薄れ、二人で美容院に行った。
優樹菜はエクステを付け、私は胸まであった髪の毛をバッサリ切ってショートにした。
優樹菜は長身細身の色白、金髪ロングヘアで、白いスウェットを着ていた。
私はチビポッチャリの色黒で、黒髪ショート、スウェットも黒だった。
意図したわけじゃないが、周りから見たら凸凹で滑稽だったと思う。
その後、優樹菜が埼玉の某最小の市に行こう、そこに友達が居るから、と言ったので電車に乗り、そこへ向かった。
着いたのはもうとうに日が暮れてからだった。
友達どこにいるの?と聞いたら、知らん、連絡先も知らん、とのことだったので、とりあえずコンビニの前でタバコを吸って時間を潰した。
教科書等の邪魔な荷物は、その某駅のコインロッカーへ。
要らないのになぜ捨てなかったのか、今でも謎だ。
今こう書き出すと、財布から金とったり、お世話になった人の貯金箱とったり、最低ですね。
本当ごめんなさい。
ちなみに貯金箱の男性からは、警察に言うみたいなメールが来てたような来てなかったような…曖昧ですいません。
不良というのは、今も昔もコンビニに集まるようで、コンビニの前で、地元のヤンキー集団にナンパされた。
当時中1(二歳下)の男の子達だった。
事情を話すと、その中のひとりが「俺の家たまり場だから来なよ」というような事を言われ、言われるがままにその誘いに乗った。
この子をタケシと呼ぶことにする。
タケシは三人兄弟の末っ子で、次男がゴリ(高1)、長男がケン(高3)だった。
タケシの家は、平屋みたいな感じの集合住宅で、驚くほど汚かった。
これぞたまり場って感じ。
出入りは主にベランダからしてた。
洗濯機はドアの外。
トイレは和式で風呂もめっちゃ狭かった。
ならその当時もう未成年へのタバコとか規制きびしくなってたはずだが
どんだけ片田舎の話や
>>144
いや、都内で一日の乗降客人数が1位か2位の駅が最寄りでした。
>>145
ね、ませてますよね。
童貞だったみたいだけどw
多分お兄ちゃん達に憧れてたんじゃないでしょうか。
ゴリとケンは地元でも有名な大不良で、2人VS30人の喧嘩にも勝ったことがある、みたいな話を誰かから聞いた。
多分大袈裟。
その家庭は父子家庭で、お父さんは土方のような仕事をしているっぽかったけど、あんまり帰ってこなかったと思う。
一回優樹菜がそのお父さんに襲われかけてたw
優樹菜ちゃん大丈夫やったん?
>>150
襖を挟んで、私とタケシとその友達が寝てたんで、すぐこっちに逃げて来て、その物音で私が起きたんで大丈夫でした。
たまり場と自負するだけあって、その家は人の出入りが激しい。
住人じゃない男の子たちが入れ替わり立ち代わり入ってきて、タバコ吸ったり酒飲んだり肩パン?したりしてた。
ほとんどが長男ケンの友達で、グループは全部で20人くらい居たと思う。
皆フリーターとかニートで、まともに高校に通ってる人は片手で数えられるくらいだった。
たまに女の子も来ていたけど、その女の子達は私たちと同い年が多かった。
ちなみに間取り。
ベランダ
ガラス戸ーーーーーーーー
部屋1(TV・お父さんの部屋)
襖ーーーーーーーーーーー
部屋2
扉ーーーーーーーーーーー
トイレ
風呂 キッチン
ーードアーーーーーーーー
洗濯機
こんな感じです
分かりにくい?
分かるよー
まあ間取りはそんな感じで。
それだけ大人数の男の中に女2人が寝泊まりしていたら、間違いが起こってもおかしくはない。
簡単に言うと、ケンに襲われた。
皆が学校や仕事で出払っていて、優樹菜が近くのヨーカドーに遊びに行っている時に。
でも、当時の私には居場所がその家とグループしかなくて、泊めてもらっているという負い目もあったから、最終的には抵抗をやめた。
これが人生2回目のセックス。
痛かった。一回目とたいして変わらんやん、って思った。
ケンは体が大きくて力も強かったから、抵抗なんてハナから無理だったけどね。
あれ?
書き込めてる?
あ、いけてた!
何か混線したみたいです。
iPhoneなのですいません。
(*管理人注:レス番がおかしいのはopen2chバグ?)