筆が進まない。
もう3日ずっとこれだ。
思いついたプロットを書いちゃあ消し、
その繰り返しでこれまでがどんな話だったかすら
分からねえ。
ああ、嫌になる。
もう時刻は25時を過ぎていたが
構わず自宅を出てオンボロのスーパーフォアに跨る。
家に篭ってちゃあ書けるもんも書けん。
明かりの少ない多摩川沿いを走りながら
担当の言葉を想起していた。
「表現と構成は申し分無いけど
ちょっとインパクトが無いよね」
分かってる。その位分かってるさ。
俺には読者を惹きつけるような創造力が無い。
新人賞を取れたのだってマグレみたいなもんだ。
俺は一年前に恋愛モノで新人賞を取って
少しばかり世間に持ち上げられた。
「すごく心に響く」だの
「言葉選びが絶妙」だのと
ワイドショーで紹介されてるのを見た時は
そりゃあ天狗になったもんだ。
担当も付いて気分はまさに文豪だったね。
なんのこたあない。
俺の一世一代の恋愛をちょっとばかし小綺麗に文に起こしただけだ。
とりわけ表現力だけはあったから
それがストーリーと上手い具合に噛み合って評価されたってワケだ。
それからというもの、俺は全く小説を世に出せていない。
作品の構成がある程度出来てるならまだしも
話すら出来上がって無かった。
担当にはダメ出しばかりされ、
愛想を尽かされる手前だった。
要するに俺ぁ、0から話を作れない
欠陥作家なんだ。
何か俺の周りで事件が起きねえか、
そんな事を考えながら柵に腰を下ろし、
煙草に火をつけて
ぼんやりあらぬ所を眺めていた。
ふと、一台のワゴンが目に入った。
暗くてよく見えないが、
中から数人の男が出て来て
女性に声を掛けているようだった。
こんな時間にこんな場所でナンパか?
と思ったが何か様子がおかしい。
足早に立ち去ろうとする女を取り囲んで…
暴れるのを強引に車に…おいおい、まさか。
見て見ぬ振りは出来ず、慌ててポケットを弄る。
…ない。携帯は家に置いたままだ。
止むを得ず単車で追跡を試みる。
ワゴンはそれほどスピードを出してないため
追うのは簡単だった。
この先に行けば大通りに出る…
運が良ければ信号に引っかかる。
そこでどうにかするしかない。
…どうにか?
どうするんだ?
武器になるようなものはないし
ましてや相手は数人の男だ。
小説家が何か出来る状況ではない。
しかしモタついていたら…
いや、既に襲われているかもしれない。
大通りに出る前の信号でなんとか
引っかかってくれた。
もう迷っている時間はない。
飛ぶように単車を降りて、
ワゴンに全身全霊で蹴りを入れた。
閑静な住宅街に金属質な音が響き、
呼応するように車の中から3人の男が
出てきた。
内2人は俺より小柄だが、
助手席から出て来た男は俺の体格より一回り大きかった。
とりあえずぱいおつを、ID付きでうp話はそれからだ
オッサンがキモい脳内を爆発させてSS書いているだけかと
チッ
俺は間髪入れずにまくし立てる。
「もう警察には場所を言ってある。
中の女性を降ろさないならナンバーも通報するからな」
思いつく限りではこれしか無かった。
こういう輩は足がつくのを最も嫌がる筈だ。
頼む、上手くいってくれ。
心臓がいつもの3倍程の早さで鼓動を打ち、
全身にはじっとりと冷たい汗が流れていた。
ややあって、男2人は慌てた様子で車に戻り女を乱暴に車から出した。
体格のいい男だけが何ともないという様子で、
「覚えたからな」と言い残して
ワゴンに戻って行った。
なんとか上手くいったみたいだ。
ワゴンが走り去って暫くは
足が地面に張り付いたようで動けなかった。
少しして我に返り、車道に横たわっている女の肩を担いで脇に座らせた。
無理もないことだが、小刻みに震えているのが背を通して伝わってきた。
まあ俺も震えてたんだけどな。
どうしていいか分からず、大丈夫か、と尋ねると
女はぎこちなくコクリ、と首肯した。
とりあえずウチこの辺だから来るか、
という問いには何も答えなかった。
放っておくことは出来ないから、
また肩を担いでフォアの後ろに乗せて
自宅へ向かった。
女は俺の腰に手を回して強く抱き締めていたが、
俺は俺で震えを止めるのが精一杯だった。
インスタントの珈琲を女に渡し、
向かい合うように座る。
「名前…なんて呼んだらいいかな」と聞くと、女は漸く口を開いてくれた。
「ナナ…と言い、ます」
声はまだ震えていて、顔にも青白さが残っていた。
「俺は桜田。もうこんな時間だしあんな事があった後だから泊まってけよ」
気がつけば既に2時を回っている。
この時間に家に返すのは良くない。
言った後で泊まる事の意味に気がつく。
しまった。無神経だったか。
「あー…俺は友達のとこにでも泊まるから、ここは好きに使えよ。
飲み物食べ物とか…風呂とか」
あんな事の後だし盗んだりとかは無いだろう。
しかし、意外にもナナは首を振った。
一人にするなと言うことだろうか。
少し困ったが、無下にする由もない。
珈琲をひと息に飲んで言う。
「じゃあ俺はソファーで寝るからロフトの布団で寝たらいい。悪いけどもう疲れたから寝させてくれ。」
しかし、ナナはまた首を横に振った。
どうしたいんだ。
「隣で寝ても、良いですか」
思わず狼狽してしまった。
いや、俺は構わないけども。
分かった、とだけ告げてロフトに上がる。
ソファーじゃ2人も寝られないからな。
ナナもすぐにその意図を察したようだった。
数分後にナナもロフトに上がってきた。
俺は出来るだけ距離を取るように端っこに詰めてナナを背にした。
しかし、なんとナナ自ら近くに寄って来た。
ちょっと警戒心が薄すぎるんじゃねーか、と思ったが、
違う。そうではない。
俺はさっきよりもナナの身体が震えているのに気が付いた。
俺にはこの子があの数分でどんな事をされたのかを知らない。
見る限りなさそうだが、既に体に乱暴をされたのかもしれない。
ナナは心の底から怯えているのだ。
それなら男の俺にも怯えそうだが…
その辺はよく分からん。
今の俺に出来ることは一人にさせない事なのだろうか。
そんな事を考えている内に
俺は寝てしまっていた。
聞きなれない音が聞こえてくる。
小気味の良い、トントンという音…
その音で目が覚めた。
手探り、携帯を探して見ると8:48と表示されている。
朝になると昨日のことは覚えておらず
キッチンにいるその女が誰だか分からなかった。
そういえばうちに泊めたんだっけか…
「あ、おはようございます!お風呂と…あとキッチン借りてます!」
「あ、ああ」
間抜けな声を返してしまう。
なんだ、意外と元気じゃないか。
未遂に終わったから、なのか。
「朝ご飯作ったので、良かったら食べますか?」
「ありがたく頂いとく」
昨日とはえらい違いだな…
まあ元気になったようで何よりだが。
はっ?醤油だろう?
100歩譲ってウスターソースだ
めんつゆ!
うまそう
プレーンオムレツとシーザーサラダ。
一人暮らしの俺には中々お目にかかれん朝食だ。
「美味いよ」
ただそれだけの言葉でナナは
オーバーに笑みを携える。
「そう言って貰えて嬉しいです」
改めて見るとナナは容姿端麗そのものだった。
肩に垂れる程の黒髪にぱっちりとした目が印象的で、
少し幼さの残る顔立ちに、
意外と膨らんでいる胸も特徴的だった。
こりゃあ襲われるだろう。
不謹慎だが俺が変な気を起こちまいそうだ。
いやいや、半熟だろ
オムライスは?
オムライスは半熟ふわとろも良いし昔ながらのぺらぺらの卵も捨てがたい…
昔風の奴でケチャップこそが王道オムライスだが、正直美味いのはフワトロデミグラスだと思う
地味に待ってんだぞ
「桜田さん、でしたっけ」
「うん?」
サラダを頬張りつつ返す。
「もう少しここにいても良いですか?」
サラダが口から出そうになった。
マジかよこの子。
まあ…理由を聞く程俺も野暮じゃない。
「いいけどな、ここには何も無いぞ」
そう。女には男の一人暮らしの家は退屈だろう。
それでも俺から目を離さないナナ。
昨日の怯え切った目とは違うが、
まだ少し曇ったものが見て取れる。
諦めて分かった、と言うと
ナナはやはり笑みを携えて、
ありがとうございます、と言う。
「じゃあ私、家から着替え持って来ますね」
「ああ、俺が送ってく」
理由はナナも聞かないようだった。
昨日と同じ様にナナを後ろに乗せて
案内されながらナナの自宅に向かう。
俺の腰に巻かれた腕は昨日程強くなかった。
「…あ」
あることに気付く。
「どうかしました?」
「バイクじゃ荷物運べねーよ…」
ナナは一瞬きょとんとして、
「それもそうですね」
と控えめに笑っていた。
不覚にも俺は、可愛いと思ってしまった。
照れ隠しをする様に、
アクセルを握る手に一層力を込めて
住民街を走り抜ける。
ナナが荷物を纏める間に俺はタクシーの手配をしていた。
俺の住所も伝えにゃならん。
少しして家から出てきたナナは
何故か人目を気にしているようだった。
タクシーに乗ったナナにまた後で、と告げる。
俺は俺でスーパーフォアに跨って自宅に向かう。
ぼんやりと水道通りを走っていると
ある疑問が浮かんで来た。
どうして俺んちなんだ。
たった昨日顔を合わせたばかりの…
普通、誰かと居たいだけなら
女友達の家にでも泊まるんじゃ無いのか。
考える余裕が出来た今、
浮かぶ疑問が俺の頭を支配した。
しかしこれもナナに聞くつもりはなかった。
何しろ、俺も一人暮らしの男だ。
淋しくもなるさ。
そこに料理の出来る女の子が住み着いてくれるなら願ったり叶ったりだ。
面倒がなけりゃいいんだ。
面倒がなけりゃ…
家に帰るともうナナは着いていた。
鍵は渡して居たから先に家に入ってるんだが….
何故か、俺の原稿を見ている。
俺の姿を認めると、慌てて頭を下げた。
「すみません!勝手に見ちゃって…」
「いいよ別に。好きなだけどうぞ」
ぶっきらぼうに返したが
実際は恥ずかしかった。
なんせ書いて消してを繰り返した
灰色の原稿だ。
「小説家さん…なんですか?」
「一応な」
怪訝な顔をしている。
何か言いたげだ。
「もしかして…桜田…健吾さん、ですか?」
「そうだけど、なんで知ってんだ?」
すると、驚きと喜びを大いに含んだ顔になった。
背景にパァーという擬音が見えそうなくらいに。
「えっ、凄い!私『夜と硝子』読みました!ファンなんです!」
読者か…なるほど。
「ああ、そうか…買ってくれてありがとな」
「サイン!サイン貰って良いですか!?」
昨日とはまるで別人だ。いや、良いことなんだが。
これがナナなんだろう。
手帳を一枚破ってサインしてやると、
この世で最大の笑顔を見せてくれた。
わぁ、とかすごーい、とか何だか忙しそうだ。
ここまで喜ばれると流石に照れ臭い。
「でもでも、健吾さんが桜田さんだなんてびっくりしました!
ほら、『夜と硝子』って凄く綺麗な文章ですよね?私、ロマンチストな女の人かと思っちゃって」
「野郎で悪かったね」
そう言うと、ナナはまたクスクスと笑った。
思わず目を逸らしてしまう。
やっぱ言えねーな。
友達のとこ行け、なんて。
支援
「それに、あんなに売れてる小説家さんだからもっとすごい家に住んでるのかと思っちゃいました」
まあ、そりゃあな。
自分で言うのもなんだが結構金は入ってくる。
だけど俺の家は家賃45,000円の1Kだ。
「俺はどんだけ良い家に住んでもこんな風にすぐ散らかしちまうから意味ねーんだ」
本心だった。
綺麗な家は俺には合わん。
するとナナは腕まくりをして辺りを見回し始めた。
まさか…
「私が綺麗にします!」
ほらな。
「いいよ悪いし」
「いえいえ、居候なので」
俺は経験上知っていた。
この手の奴は言っても聞かないからな…
ふと時計を見ると11:00になっていた。
昼飯どうすっかな…一人なら炒飯でいいんだが。
せっせと働くナナにある提案をした。
「昼飯は外で食うか?」
すると、ナナが一瞬ぴた、と止まった。
「いえ、私、何か作りますから」
少し低いトーンで言った。
しかも、ジェノベーゼだわ
やっぱ何かあるな。
ナナの家を出る時もそうだったが、
何故か人目を気にしている。
昨日のことと関係が無ければ良いが…
「いいよ、俺が作る」
「でも」
「美味いの食わしてやるから」
それだけ言ってキッチンに立つ。
面倒は後回しだ。
ちゃちゃっと作った炒飯を机に置いて
ナナを呼ぶ。
2人で手を合わせて、ママゴトの様に
いただきます、を言う。
どれ位ぶりだ、こんなの。
炒飯を食べていると、ナナが不意に聞いてきた。
「新作は出さないんですか?」
今度は俺が止まりそうになる。
「…ご覧の通りだ。書いてる最中だ」
書けない、とは言わなかった。
ナナの期待を裏切る様な気がしたんだ。
「すごく楽しみにしてますよ、新作」
それは大変なこった。
何年かかるか分からねえな。
「私も一時期小説家になろうと思ってたんですよ。書きたい話があって、でも上手く書けないから諦めちゃいました」
「どんな話だ?」
なんとなく、聞いてみる。
「幽霊と女の人が恋に落ちちゃう話」
はは…
「聞かせてくれよ」
「えっとですね…」
何を言ってんだろうな、俺は。
「…という話なんですよ」
…驚いた。
思わず聞き入っちまった。
この子は…
「あんたはそれを応募しなかったのか?」
聞かずにはいられない。
「しようとしましたよ。でも、改めて読み返してみると雑な文で、まとまりがなくて…だから私、健吾さんの『夜と硝子』を見て感動しちゃったんです。とっても読み易くて、要所での表現がグッとくるんですよねー。」
この子は自分を分かっちゃいない。
ナナは、ストーリーを考える才能がある。間違いない。
それも数百と本を読んだ俺が聞いて
今までにない、と思える程に。
展開がありきたりじゃなくて、
軸がブレてなくて、物語の起伏、メリハリがある。
俺が持ってない物を溢れる程に抱えている。
正直俺は嫉妬してしまった。
同時に、「勿体無い」と思っちまった。
「もう一回だ」
「え?」
「もう一回、今の話を聞かせてくれ」
それからナナの読み聞かせは
数時間に渡って続いた。
他にも考えた物語があるようで、
思い出しながら全て話してくれた。
途中、俺が物語の不明瞭な部分について聞くと、
これまた隅々まで語ってくれた。
ナナの才能は本物だった。
思いついた物語の殆どを聞くと、
時刻は19:00を回っていた。
どれだけナナと向かい合っていたか…
しかし、俺は片時もナナから目を逸らさなかった。
流石にナナは疲れたようで、
珈琲を啜り、伸びをしていた。
だがその表情はとても満足気だった。
「まさか、健吾さんがここまで興味を持ってくれるだなんて思いませんでした。
私…すっごく嬉しいんですよ。憧れの健吾さんに自分の物語を…こんなに聞いてもらえて」
「それは俺も同じだ。あんたの物語が聞けて良かった」
本音だ。
どの物語も退屈しなくて、
陳腐な言い方だが心を揺さぶられちまった。
ふと、ナナの顔を見ると…赤面してしまっている。
人間の顔ってのはホントに赤くなんのか。
「あの、シャワー、借りますね」
行ってしまった。
一人になったリビングで、ふう、と
ソファーに座り凭れる。
窓から射す橙色の夕陽が
机の上の灰色がかった原稿を照らす。
俺はその原稿にぺた、と手を置き、
思い切りぐしゃ、と握り潰す。
俺のもう一つの本音。
ナナのストーリーを原稿に起こしたい。
すまん。寝ちまいそうだから
明日投下する。
待っていよう
実際は女がギャーギャー泣くだけだぜー。
ナナは文章にまとまりを持たせられないと言っていた。
俺ならそれが出来る。
文に表現出来ないと言っていた。
俺ならそれが出来る。
見てみたい。
ナナのストーリーを完成させて読んでみたい。
だが…
—-
ナナがシャワーを浴びている間に晩飯を買いに行く事にした。
飯を買ってくる、と簡素な書き置きを残して家を出る。
行きつけの弁当屋で間に合わせるか…。
「おっ、健吾くん、進捗具合はどうだい?」
もうここのオヤジとも長い付き合いだ。
と言っても3年かそこらだが。
「ぼちぼちだよ」
これを言うのも中々辛いもんだ。
「そっかそっか!出したらすぐ教えてよ!で、今日も焼肉弁当かい?」
「ああ、焼肉弁当を2つ…」
いや、待て。
俺はそれでいいがナナが焼肉弁当…
何か違う。
「なあ、ここって女の子はくるか?」
「まあそれなりに…って健吾くん」
「友達が来てるんだ」
すぐに返す。
しかしやはりオヤジはいやらしい顔になる。
「それだと~。こちらのヘルシー弁当が~。オススメだよ~」
わざとらしくクネクネしている。
取り合うのも面倒なので
弁当を受け取ると、
代金だけ置いて立ち去ることにした。
後ろで、頑張ってー、と聞こえるが気にしない。
家に帰ると、風呂上がりのナナがいた。
姿勢良くソファーに座ってテレビを見ている。
まっすぐ下りた髪は少し濡れていて、
一層艶かしく見せていた。
「あ、お帰りなさい!わざわざ、ありがとうございます」
いいよ、と言ってがさがさと
袋の中身を机の上に出す。
「どっちがいい」
一応な。
すると、ナナの目線は焼肉弁当の方に行った。
もしや。
「焼肉弁当にします!」
そらきた。
俺の気遣いはいつも空回っちまう。
晩飯を終えてシャワーを浴びながら
俺は物思いに耽っていた。
ナナの物語を、俺が書く。
俺だって小説を書くからにゃあ、
人の胸を打つものを書きたい。
だが同時に、小説家としてのプライドもある。
1から10まで全部自分で書いたものが評価されてこそ、嬉しいもんだ。
ナナの話を書いて、それが評価された時
俺は「小説家」でいられるのか。
恐らくナナにこの話を持ち掛けたら
快諾するだろう。
2人で小説を出した前例もある。
あとは俺自身の問題だった。
俺の、意地だけだ。
風呂から上がると、ナナが珈琲を入れてくれた。
礼を言って珈琲をずず、と飲む。
ナナはテレビに夢中になっている。
動物が出てくる、如何にも女の子向けな番組だ。
……言うべきか。
心の中で意地と衝動がせめぎ合う。
「あのさ」
「なんですか?」
…。
「…また小説を書いてみる気は無いか?」
言えない。
「私が、ですか?」
「あんたには話を作る才能がある。書かないのが勿体無い程だ。」
まあ、ナナ自身が書けるなら問題はない。
やや俯き加減に、頬を染めてナナが言う。
「そう言ってくれるのはとっても嬉しいんですけど….ほんとに、書けないんです。
ちょっとだけ書いてみるから、読んでみます?」
「そうしてくれると有難い」
すると、ナナはペンをバッグから取り出し、なかなかの速さで原稿に筆を走らせた。
その書き慣れているさまから、
幾つかの物語を実際に書いたのだろうと感じた。
ナナが原稿用紙10枚ほど書き終えると、
おずおずと俺に差し出した。
手にとって読んでみる。
……
…うーむ。
確かにこれは…
悪くは無いが、表現に乏しい。
必要なコンテクストが抜けている、と言った感じだった。
「正直な感想を、お願いします」
俺は元より正直に言っちまうタチだからそこは大丈夫だが…。
「まず、ここの街を出るところ。状況説明が不十分だ。これじゃ読者は違和感を抱いちまう。
それとこの場面の切り替え。もう1文何か付け加えないと不自然だ。
あとここの再会のところ、心情を語っているのがどっちだか分からん。せめて口調に変化を….」
と、ナナが泣き出しそうになっている。これはマズい。
「全体的には悪くないが、部分部分の不足で読者が置いてけぼりになってるから….えーと」
「大丈夫、です。分かってましたから」
なんとか持ち直したようだ。
ナナが原稿用紙を見て言う。
「でも、きっとこの物語も」
今度は俺を見て続ける。
「健吾さんに書いてもらえたら…」
俺の心臓がドクン、と大きな音を立てた。
絞り出すようにナナの言葉を遮る。
「もうこんな時間だ。そろそろ寝るぞ」
すまん。
まだその先は言わないでくれ。
「…そうですね。そうしましょう」
原稿用紙を置いて、ナナの顔をちら、と見る。
その顔には淋しさが見て取れた。
寝る前に一服をと、キッチンの換気扇の前に行き、煙草に火を付ける。
ナナはロフトに上がったようだ。
煙草を燻らせ、また頭を悩ます。
ナナは俺に書き直して欲しいと思っている。
あの言い方からして、思いつきのそれではなく
本当に望んでいるようだ。
俺は、他人の力を借りるのが嫌なだけなんだろう。
プライドなんかじゃない。
でも、素直に受け入れられない。
電気を消して、ロフトに上がろうとする。
いや、ロフトにはナナが寝ている。
俺はソファーで寝るか…
………
ナナの淋し気な顔が頭をよぎる。
……
俺は体を起こしてロフトに上がった。
ナナは昨日の俺のように
壁に身体を向けて端に寄っていた。
俺はナナに背を向けて…ではなく、
仰向けで布団に入る。
大丈夫だよな、これなら。
目を瞑って幾らか経った時、
ナナが寝返りをうったのか
身体の軸を180度変えて、
俺にその身体を預けてきた。
俺は思わず驚いてナナの顔を見たが、
やはり目は瞑っていた。
いや、違う。寝返りじゃない。
寝息をしていない。
ナナはまだ起きている。
意識がありながら俺に抱きついてんだ。
俺はどうすることも出来ず、硬直を保っていた。
しかし…
隣に可憐なナナの顔、艶やかな身体。
意識し始めると本当に襲いかねなかった。
なんとか寝息をたてるまで堪えて、
音を立てないようにロフトを下りる。
さらに上着を羽織って、家を出た。
あの場にいたらとても耐えられそうになかった。
する必要はないと思いつつも、
一応これから向かう先にメールする。
今から行けるか、と、これだけ。
1分程でおっけーと返事が来る。
俺はまた多摩川沿いにフォアを走らせる。
インターホンを鳴らすとすぐ、
満面の笑みで迎えてくれた。
「悪いな、こんな時間に」
相手はこう返す。
「いいってこと」
俺の、元彼女のエミだ。
それなりのマンションに住んでいて、
部屋はうちより断然広かった。
ブラウンにまとめたシックなインテリアが外観によく合う。
「本日はどのような御用件で」
わざとらしくエミが言う。
「今俺の家に女の子がいる」
「それで?」
「家に居ると襲っちまいそうだからここに逃げてきた」
注がれた赤ワインを口にする。
どうやら俺が来る前から呑んでたみたいだ。
「つまり」
つまり。
「あたしで性欲を発散させるためにここに来たワケだ」
そうじゃねえったら。
「そういうのは無しだ」
エミがケラケラと笑う。
こいつ、相当酔ってやがるな。
「だいたいさ、家に上がりこんで来るくらいだから気があるんでしょ、その子は。しちゃえばいいじゃん、セックス」
ダメだ、今こういう話をしたら
エミは止まらない。
俺は止むを得ず言った。
「その子は昨日レイプされかけた」
流石のエミもすっと真剣な顔になる。
「どこで?」
あれは確か…
「2丁目辺りだ。通りかかったとこを助けて泊めてんだ」
エミはグラスを手でころころと器用に回して窓から外を流し見る。
何か考えている様子だ。
「まあ二人とも無事なら良かったじゃん。それにしても、案外優しいんだね。泊めてあげるだなんて。可愛いの?」
エミがシニカルな顔になる。
「話作りの才能があるんだ」
答えになっていないが、間違いはない。
「んー…」
大袈裟に考える仕草をしている。
「分かった!その子の考えた話を健吾くんが書こうとしてるんだ」
やれやれ。お見通しかよ。
「あはは、健吾くん話を作るのは苦手だからねー」
デリカシーがねーのかこいつには。
「迷ってんだ。書きたいけど書きたくないっていうか」
もう、酔いの勢いでなんでも曝け出せる気分だ。
「怖いんでしょ。自分の作品を超えられるのが」
「そうだ」
お前の方が怖いけどな。
「良いこと思いついた!両方やっちゃいなよ」
…両方?
「健吾くんがその子と恋愛して、また『夜と硝子』を書けば良いんだよ!」
思わずワインを噴き出しそうになる。
「お前な、話作りのために付き合うなんておかしいぞ」
「だからー、とりあえずその子の話を書いてみるんだよ。そしたら共同作業で愛が芽生えるかもしんないでしょー?」
と言ってまたケラケラ笑う。
もう言ってる事が滅茶苦茶だ。
眠気も強くなってきたから、
エミに7時に起こしてくれ、とだけ伝えてベッドに雪崩れる。
エミが何か言っているが、
もう俺の耳には届いていなかった。
…….
—-
「健吾くん!起きて!7時だよ!」
俺の体を揺するのは…エミか。
おはよう、と言って欠伸を一つ、
伸びをする。
もうナナが起きているかもしれない。
家に帰らねーとな。
マンションの下までエミが見送りに来てくれた。
フォアにキーを差して回すと、エミが言った。
「あのね、健吾くん。私昨日はああ言ったけど健吾くんに話を作る才能が無いわけじゃないと思うんだ」
どういう意味だ。
「私、『夜と硝子』何度も繰り返して読んでるんだ。
なんて言えばいいか分からないけどね、
読むと健吾くんと付き合ってた時以上の気持ちになれるの。
あれは健吾くんが一人で書き上げたものなのに、不思議だよね。
他の読んでる人もきっと同じなんだよ。『健吾くんの物語』が評価されてるんだよ」
俺はなんだか胸がこそばゆい気持ちになった。そういう解釈もあるか。
「ありがとな。俺は俺で頑張るから」
「うん!私も新作、楽しみにしてる」
そう言って笑顔で手を小さく振るエミ。
不思議と俺の胸には、ここに来た時のモヤモヤはなかった。
俺もまた手を振り、自宅に戻る。
…
講義行ってくる。
また書いて投下する
うむ
待っていよう
—-
ナナはまだ寝ていた。
俺が家を出た時と同じ体勢で、
静かに寝息を立てていた。
ナナが起きるまでに朝食を作ろうとしていた俺は、エミの言葉を思い出す。
ナナと恋愛して、もう一度『夜と硝子』を書けばいい….なくは、ない。
ナナとあの事件で会った時は恋愛感情なんざ持ち合わせていなかった。
だが、ナナの才能に気付いた時に
俺は何か運命的なモノを感じていた。
俺は文才を、ナナは話作りの才能を、
お互いに補う形で出会った。
キッカケはレイプ事件だが。
現実にこんな事が起こりうるのだろうか。あまりに出来すぎている。
しかし、出来すぎているからこそ
一つのナラティブとして、小説に起こすことも出来る。
「事実は小説よりも奇なり、か」
口に出すとなんともよく出来た言葉だった。
気が付くと、流れ作業で作ったサンドイッチが4つ出来ていた。
時を待たずして、ナナも目をこすりながらロフトから降りてきた。
「朝飯食うぞ」
とだけ言って、ナナをソファーに座らせる。
その顔はまだ少し沈んでいた。
もう迷うことはない。
俺がナナの目をじっと見つめると、
ナナもきょとんとして俺を見ていた。
「ナナ」
ナナはまた顔を赤らめて、あたふたしている。
そういえば名前を言ったのは初めてだな。
「頼みがある」
そう言うと、ナナの顔は再びきょとんとした顔になった。
「ナナの物語を俺に書かせてくれ」
………。
言ってしまった。
言われた当人は瞬きもせずに固まっている。
10秒の沈黙。
…の後に、ナナは涙を流し始めてしまった。
お、おい。
そりゃどういう了見だよ。
「わ、たし…ひっく…昨日の夜、に…健吾さんを失望…うぅ……させてしまったと…思って…」
違う。そうじゃない。
俺が意地を張ってただけなんだ。
「で、でも……健吾さんからこんな事……言ってもらえて…ひっく……私、凄く嬉しくて……夢みたいで…」
嬉しいのは俺の方だ。
ナナとなら唯一無二のものが書ける。そう確信出来る。
だが言えない。なんだか気恥ずかしい。
「…書いてもいいか?」
ナナはこくこく、と頷く。
か、可愛い…
目を背けちまいそうだ。
「とりあえず朝飯食べようぜ」
いつまでも泣きじゃくるナナに
サンドイッチを促す。
ああ…涙がボロボロとサンドイッチに…
それ、しょっぱそうだな…。
—-
ナナとの「共同作業」が始まった。
ナナが原稿に骨組みし、
俺が肉付けをしていく。
俺はそりゃあ楽しいもんさ。
なんせ最高の素材だ。
この感覚は以前にも味わったことがある。
そう、『夜と硝子』を書いていた時だ。
溢れてくる表現が一挙に押し寄せ、
俺に主張してくる。
上手く言えねーけど、そんな感じだ。
とりあえずは上手く行っている。
このままいくと一週間ほどで
出来上がっちまいそうだ。
—-
キリの良いところで筆を置き、
大きく背伸びする。
ナナをちら、と見ると…
まだ原稿に向かっている。
よくもまあ、ここまで休みなしで書けるもんだ。
顔には充実と少しの疲労の色が映っている。
たまには俺が労ってやるとするか…
ティーカップにアールグレイを淹れて、
ナナの前にコト、と置いてやる。
笑顔でありがとうございます、とナナ。
アールグレイをこく、と飲み
また筆を執る。
俺はナナの隣に座り、
その横顔を覗き見る。
夕陽の朱に染められて紅潮しているようにも見える。
気づけば…
もう何日もナナと一緒に暮らしていた。
飯は交代で作り、向かい合って食べる。
同じ風呂に入り、同じ布団で寝る…
もう恋人をすっ飛ばして夫婦みたいな…
いや、それも悪くないな。
桜田、ナナか…
…何を考えてんだ俺は。
どうかしてる。
ぽけーっとしていた俺は
横目でナナが此方を見ていることに気付く。
相変わらず夕陽がナナを紅潮させている。
「書いてて思ったんですけど」
「?」
「ペンネーム。どうなるんだろうって」
なんだそんな事か。
「桜田健吾、になるんですか?」
いや、それはダメだ。
「それだと俺一人が書いたことになっちまう。2人で書いたものとして別のペンネームが必要だ」
するとナナは肘をつき、
大いに困った顔になってしまう。
「そんなに難しく考えなくていい。例えば…そうだな、桜田、ナナとか」
「!」
やっちまった。
ナナが硬直してしまっている。
俺は思わず窓の外の明後日の方向を見てしまう。
俺、今、どんな顔なんだ。
目を合わせられない。
ナナは…
「桜田、ナナ…」
反芻しているようだ。
表情は伺えない。
「私も…その、同じこと考えてました」
また俺の心臓がドクン、と跳ね上がる。
書き溜めてくる
気付いてしまった。
俺は…
今度はナナに顔を向ける。
ナナもやや遅れて、此方を見る。
その時、お互いの考えてることが
分かるような気がした。
確信した。
俺は、ナナのことが好きだ。
………..
—-
ナナがシャワーを浴びている間に
原稿をチェックする。
すこし手を加えて息をつく。
煙草に火をつけ、今後の事を考える。
とりあえず原稿が完成したら
担当に相談してみるか。
その後は…
その後、どうする。
全部事を終えたらナナは帰ってしまうのだろうか。
今はまだ理由があるから
ナナもここに留まっている。
もう、一緒に飯を食う事も、
寝ることもなくなっちまうんだろうか。
ふと、後ろの風呂を流し見る。
絶え間無く聞こえるシャワーの音。
その先にナナは居る。
今はまだ。
俺は何か、すべきなんだろうか。
ナナをここに繋ぎ止めておく、何かを。
分かっちゃあいるがそんなのは
俺のエゴだ。
多少俺に向けられている好意にも気付いてるが
いつまで続くかなんてなぁ分からん。
まあ、書き上げてからでいい。
面倒な事は後回しだ。
—-
「ふう…」
時刻は16:52。
ゆっくりと、机上にペンを置く。
ナナと結託して8日。
遂に原稿を書き上げた。
「やったあー…ついに、完成ですね…」
喜ぶより先に項垂れるナナ。
もはやナナも満身創痍だ。
こりゃ少し休ませた方がいい。
「俺は今から担当に会ってくるから、うちで寝とけ」
「ありがとう、ございます…」
ロフトに上がるでもなく、
ソファーに倒れこむナナ。
なんて無防備だ…
—-
駅前のドトールを出て、帰路につく。
担当には予め説明してあったから
すぐに原稿を渡した。
この1年間、見たことのない顔で
読みふけっていた。
10頁ほど読んだところで
じっくり読みたい、などと言って
さっさと帰ってしまった。
少し複雑な気分だったが、
まあ大方の予想はついていた。
俺はナナのストーリーを書けりゃそれでいいんだ。
あとは電話が掛かって来るのを待つだけだ。
なんの心配もしちゃいないが。
ただ一つ心配事があるなら、
『夜と硝子』より売れてしまうか、
それだけだ。
—-
家に帰ると、ナナは相変わらず無防備に倒れこんでいた。
ナナの隣にそっと座り込む。
そして、感謝や労い、そんな意味を込めてゆっくりと頭を撫でてやる。
そして、ナナの寝顔をそっと覗き込む。
その表情は何処か満足気で、
「もう少し寝かせてくれ」と
訴えているようにも見える。
しゃーねーな。
溜まっている洗い物をささっと片付け、
夕飯の準備をする。
ナナを起こさないように、静かに。
すると、俺の携帯がなった。
早すぎる、と思ったが相手はエミだった。
なんて間の悪い奴だろうか。
「もしもし」
気だるそうに言うと、エミは返す。
「やっほー!どう?原稿」
どうしてこうも勘が冴えてんだ。
「さっき完成したとこだ」
「ホントに!?読みたい読みたい!」
もう渡したんだよ。原稿は。
「書店にてお求めください」
「おっ、強気な発言だねー。自信はあるのかな?」
やるべきことはやったからな。
「まあな。で、要件はなんなんだ」
「ちゃんと愛を育んでるかなーって」
こいつ…。
もういい、言っちまえ。
「俺、ナナが好きみたいだ」
どうせ隠しても得は無い。
「へぇーナナちゃんって言うんだ。でも、その言い方だとまだ伝えてないみたいだねー」
「まだ知り合って二週間程度だ。なんか…まだ、なあ」
「早くしないと、取り返しつかなくなっちゃうかもよ?」
電話越しにエミがくふふ、と笑う。
そんな簡単じゃねーんだよ。
「もうそれだけなら切るぞ」
「あっ、それとねー」
まだあんのか。
「健吾くん、ちょっと用心した方がいいかも知れない。こないだ、友達が水道通りで怪しい男に声かけられたって」
もしかして…
「その子は大丈夫だったのか?」
「うん。男の子だし。走って逃げたって」
男かよ。
「まあ気を付ける。じゃあな」
「うん!おやすみー」
通話を切る。
あぶねー奴がいたもんだ。
男まで体を狙われんのか。
ふと、気が付けばナナが起きていた。
「お、おはよう…ございます」
「ああ、おはよう。もうすぐ飯出来るからな」
何故かナナの声がぎこちない。
寝起きだからか。
……ん?
ちょっと待て、いつから起きてたんだ。
もし…電話での会話を全て、聞いていたら。
もうそれ以上は考えずに夕飯の支度に取り掛かる。
自然と顔が熱くなるのを感じた。
カレーを皿に盛って、
机にコトン、と置く。
そして、いつものように2人でいただきます、を言う。
ナナの声にはもうぎこちなさはなく、
むしろ以前より明るさを増していた。
俺の思い過ごしか。
ならいいが。
カレーを一口食べてナナが、
目を固く瞑ってうーん、と唸る。
「いつも思ってたんですけど健吾さんって、料理上手ですよね」
何年も自炊してりゃあそれなりになる。
「まあ、な」
少し得意そうに答える。
「きっと、健吾さんはいいお嫁さんになれますね」
そしてくすくすと笑う。
こいつ、言うようになったな。
「ナナの飯も俺は好きだ。いいお嫁さんになれる」
ナナは大袈裟に照れて見せる。
ふと、思う。
俺はまた独りに戻れるのかと。
ナナと一緒にいるのを楽しいと思っちまってる。
これまで独りでいられたのは、
それまでが独りだったからだ。
早くしないと、取り返しが付かなくなる…
エミが言うと、俄然説得力を増す。
嫌なやつだ。
—-
飯を食い終わってシャワーを浴びる。
明日はどうしようか、と考える。
これまでずっと書きっぱなしだったから途端にやることがなくなっちまったな。
ナナと一日ゴロゴロする……それも良いだろう。
そんな折、ふとある考えが浮かんだ。
ナナと何処かに遊びに行ってはどうか。
以前、外食を提案したら断られたが
今はどうだろうか。
なんにしても聞いてみないと分からん。
明日誘ってみるか。
……
—-
もう、ナナと共に寝るのが
当たり前になってしまった。
最近は二人仰向けで、
肩が付くほどの距離で寝ている。
今日も一緒に布団に入り
仰向けになる……筈なのだが、
今日に限り、何故か、いつかのように
ナナが俺に寄り添っている。
精神衛生上よろしくないが、
嫌なわけが無い。
俺は仰向けのまま、目を瞑る。
……
「健吾さん」
徐にナナが口を開く。
仰向けのまま、ん、と返す。
「実は、健吾さんが電話してる時、起きてて…」
思わず目を見開く。
何も言えなくなる。
眠ろうとした脳が覚醒する。
「その、全部聞こえちゃいました」
聞こえてたのかよ。
いや、それは…
…ダメだ。頭が真っ白になる。
「私も、です」
ナナの透き通った声が俺の頭にこだまする。
意味を解釈しようとするが脳が働かない。
気付けば、先に身体が動いていた。
ナナを、向かい合わせに抱きしめていた。
…………
……
—-
俺の朝はナナよりも早い。
理由は簡単だ。
俺より早くナナが起きちまったら、
その……まあ、色々困るからな。
そう言うワケで、大体いつも朝食を作るのは俺だ。
毎日が同じものだと飽きるから、
今日も頭を悩ます。
>>172
あったかも
—-
「……あの」
ナナが怪訝な顔をする。
「今日も食パンにコーンフレークですか?」
今日も、とはお言葉だな。
「昨日はチョコのコーンフレーク。今日はプレーンだ」
ナナが困った顔で俺を見る。
な…なんだその目は。
「お嫁さんにはなれませんね」
元からなれねーよ。
「お昼ご飯は腕によりをかけて作るので期待しててくださいね!」
ナナの目が輝く。
そういえば…
「あー…ちょっと提案があるんだけど」
「なんでしょうか?」
流石に言い出しにくいな。
「今日さ。外に遊びに行かねーか」
……。
やはりナナの顔が曇る。
「私は…」
俺は勇気を出して言う。
「デートだ」
く……恥ずかしい。
だが効果はあったようだ。
ナナは顔を上げ、驚くような目でこっちを見て、
また下を向いて少し笑っている。
「行き、ます」
ケータイある時代なのに手書きの原稿に編集に手渡しなん?
データで送るとかだよね
>>180
本当はもう数十年も前からワープロなりの
電子機器でやりとりしてる筈だけど
原稿用紙に直接書くっていうのが好きだから勝手にそうした
食い違う所は沢山あると思う
すまん
ワープロでやり取りは出来ないわ
すまん
—-
ナナとの3度目のタンデム。
ナナは、前回より強く俺の腰に腕を絡めていた。
それがなんだか俺とナナの繋がりを示唆しているようで、
俺も笑みを零しそうだった。
今回は移動にそこそこ時間がかかる。
首都高速を経由して、およそ40分。
ナナは疲れやしないだろうか、と案じたが、特にそんな様子は見られない。
道行く人の何人かが俺とナナを見る。
なんでもない視線なのかもしれんが、
ナナの容姿は人目を集めやすい。
俺は宛ら恋人として見られているのだろうか。
というか、そもそも恋人なのだろうか。
お互いの気持ちは知ったが、
まだ俺は正面からナナに好きだと言っていない。
なかなか難しいんだ、これが。
考えを吹っ切るようにアクセルを回す。
行き先は、舞浜だ。
—-
ああ、待ってくれ。
「健吾さん、あれ!あれ乗りましょう!」
なんてこった…
ナナの体力は底無しだ。
もうどれくらい歩いたか分からん。
しかも面白そうなアトラクションを見つけた途端、
目を輝かせて走って行っちまう。
いや、俺が運動不足なのか…
漸く追いつくと、並んでいるナナが俺に手招きする。
やめてくれ、目立つから。
「結構並んでるんですねー。健吾さん、時間かかっちゃうけど…」
「ああ、いいよ」
休めるからな。
笑顔で軽く礼をするナナ。
楽しんでくれているようで、何よりだ。
ここは日本最大規模の遊園地の筈だが、
どうやらナナは初めて来たらしい。
これが結構意外だったが、
同時に、最初に連れて来てやれたのが自分、というのが嬉しくもあった。
ポケットから携帯を取り出し、
時間を見るとまだ三時半だった。
これから何時間も動き回ると思うと、
気が遠くなる思いだ。
まあ俺も楽しんでるけどな。
それにこれほどの反応を見せられちゃあ、俺もへばる訳にはいかん。
—-
もう限界だ。
足が動かん。
グッズ売り場でマスコットキャラの耳がついたカチューシャを着けたり外したりしているナナに、声を掛ける。
「次は飯食わねーか。すぐ近くのレストランで…」
もう七時になる。飯には頃合いだ。
「あ、そうしましょうか!それと…」
何か言いにくそうだ。
……ああ、それが欲しいのか。
俺はナナが着けていたカチューシャをひょい、と取ってそのままレジに持っていく。
「ほら」
ナナに袋ごとカチューシャを渡す。
ぱあっと明るくなるナナの顔。
それを見るためならたかが千円どうってこたない。
すぐに袋から取り出し、身に付ける。
手を後ろに組んでやや前傾し、言う。
「似合ってますか?」
…すごく。
「可愛い、と思う」
わざとらしく両手を頬に当て、
嬉しがるナナ。
久々だな、こういうのは。
—-
ナナは物珍しそうに自分のプレートを眺めていた。
ここのシンボルのマスコットキャラを象ったハンバーグだ。
俺はといえば、なんの変哲もない
ただのカレーだった。
食えりゃそれでいい。
しかし、今日は疲れた。
普段から体を動かしていないとこういう時に困る。
ナナとこういう所に来るのは
これが最初で最後、かもしれないが。
ハンバーグを半分ほど食べ進めたナナがナイフとフォークを置く。
俯きがちに、少し考え込んだ様子を見せ、ややあって覚悟を決めたような表情で此方に向き直る。
どうしたんだ、急に。
「私と初めて会った日のこと、覚えてますか?」
突然に切り出す。
忘れるわけが無い。
「あの時の男の人、は……私の知っている人、なんです」
驚いたが、表情には出さなかった。
しかし、一瞬言葉に詰まってしまう。
「友達には見えなかったが」
「私の友達の知り合い、というか…紹介されたんです」
俺は特に口を挟まず、目で続きを促す。
「会ってみるだけだからって、友達に言われて…その人、最初は良い人だったんです。たまにご飯を一緒するだけ、別の目的があるわけでも無さそうでした」
まあ、普通はそう考える。
ナナみたいな女の子なら、
言い寄られた経験も少なくはないだろう。
「ある時…告白されちゃったんです。でも、私にそういう気持ちは無くて、断っちゃったんです」
ナナがアイス珈琲を一口飲み、
続ける。
「その後からでした。頻繁に私の家に訪ねて来るようになって、たまに強くもう来ないでって言ったりもしたんですけど…どんどん執拗になってきちゃって」
ストーカー、だな。
「私、自分の家に居るのが怖くなって。その後は友達の家に居ました。」
なんとなく話が掴めてきた。
恐らくその男は…
「でも、私が買い物をしている所を見られてしまい、逃げた時に友達の家まで知られちゃったんです。迷惑がかかると思って、深夜に出て行きました。」
だろうな。
それでああなったワケか。
「…だから私、」
「他人の家が都合が良いと思った、か」
全て合点がいく。
ナナはこう思った筈だ。
また別の知り合いの家に居ちゃあ
男に調べられる可能性がある。
それに、その友人にも迷惑が掛かる。
赤の他人の俺の家なら、
外に出ない限り、知られることは無い。
当てもなく、逃げ続ける。
警察に言った所で精々1年、豚箱に入るだけだ。
恨みを買うのを恐れて警察に言えない。
そういうケースは多い。
ふとナナを見ると、静かに涙を零している。
やれやれ。
「私、早く言わないとって。でも、そうしたら…きっと健吾さんは…」
俺は遮るように言う。
「これは勝手な俺の妄想だ。うちに来た時ナナは確かにそう考えていた。少ししたら、すぐに離れようと思った筈だ。だが、この数日間で心変わりしちまった。今はまだ居たいと思ってる」
俺に都合のいい妄想かもしれん。
しかしナナは嘘を付けない子だ。
たったの何日間しか過ごしていないが、見てりゃ判る。
たぶん、この涙にも嘘は含まれていない。
ナナは否定しない。
沈黙を保って涙し続けている。
ふぅ、と一息置いて俺は言う。
「俺が守ってやる。うちにいろ」
職業柄、もっと良い言葉を捻り出せる筈なんだが…
口から出たのは、何処にでも転がっているようなクサい台詞だった。
だが、俺の本心そのものだ。
ナナは顔をあげて、俺を見る。
俺はそんなナナを見て、愛おしいと強く思う。
言わないけどな。
まだ泣きじゃくるナナに何か言葉を掛けてやろうと思った時、
後ろで、ぱぁん、という音が聞こえた。
花火が上がっている。
そんな事もやるのか、ここは。
ほら、行くぞと声を掛けて、
涙を流したままのナナの手を取り
強引に外に連れ出す。
バルコニーにはそれなりの人が居て、
皆様々に、打ち上がる花火に合わせて声をあげている。
中には、ちらちらと此方を見る者もいる。
片方の手をポケットに突っ込み、
ぼんやりと花火を眺める俺。
時折俯きながらも、涙を目に溜めたまま花火を目で追いかけるナナ。
俺達は傍からどう見られているのだろうか。
今日始まって、嬉し泣きの女とその男。
それとも、これで最期だ、と涙を流す女と何と無い男、として見られているかもしれない。
しかし、そのどちらでもない。
まだ始まってもいないし、
終わってもいない。
これからなんだ。
…………
……
—-
流石のナナも疲れたのか、
家に入ると、ソファーにぺたん、と座り込んでしまった。
しかしそれでも笑みを作って、礼を言うナナ。
「今日は…本当にありがとうございました。とても楽しかったし、それに……嬉しかったです」
そうか、そりゃ何よりだ。
照れを隠すように、ぶっきらぼうに返事を返す。
一服しようと、煙草を取り出す。
が……ない。
はぁ、買ってくるか。
近くのコンビニに行ってくると告げて、家を出る。
—-
買った煙草のパッケージを開けて、
一本取り出し火を付ける。
柵に腰を下ろし、考える。
そろそろ、自分から言わねーとな。
さっきはあんな言い方だったから、
次はもう少し心に残る言葉を…
脳を切り替えて、言葉を探す。
と言っても告白なんてものはしたことがなかったために、
そのボキャブラリーは限られている。
なにか斬新な言い回しにしようか。
どうせなら……などと、
脳内で作戦会議を開いている時に、
背後からとんとん、と肩を突つかれた。
反射で振り向く。
そこにいるバットを持った大柄な男……お前は。
男がバットを振り被る動作を見た次の瞬間、
強烈な痛みと共に意識がシャットアウトされた。
…………
……
溜めた分は終わってしまった
遅くてごめんな
あともうちょっとだけ続くよ
続きはよ
ナナとは離ればなれになり作品だけが残りましたとさとか
>>213
またやらかしてしまった…すまん
勉強不足だったわ
書き溜めてくる
うむ
待っていよう
—-
唐突に、目が覚める。
夢か現か分からない。
思考回路が働かず、ただぼんやりと真上を眺める。
白色の、天井。
次に、酷く重たい上半身をゆっくりと起こし、また、ぼーっと前を見る。
やはり、白。
状況が掴めない。
どうしちまったんだ、俺は。
ふと右を見渡すと、女が椅子に座って壁に凭れかかっていた。
エミだ……寝ている。
少しづつ思考力が戻ってきつつある俺は、今、自分の身に何が起こっているのかを知ろうと、記憶を探る。
俺は……
少し前まで外に居た。
柵に座って……煙草に火を付けて……
それから何だっけ。
エミに話を聞いた方が早い。
そう思って、寝ているエミに声をかける。
「おい、エミ」
エミの柔らかい頬っぺたに、
ぺちぺち、と軽くビンタする。
「うぅ、ん」
やや呻き声をあげるエミが、
ゆっくりと瞼を持ち上げる。
俺を目で捉えてすぐ、
大層驚いた顔で言う。
「……健吾くん!」
がばっ、と抱き付いてくる。
豊満な胸が当たっているが、それどころではない。
エミの肩を掴み、
そっと俺から剥がす。
「なんで俺は病院に居るんだ」
疑問符は付けずに言う。
「……健吾くん、通り魔に襲われちゃったんだよ。バットで後頭部を強打されたみたいで、運が悪かったらもっとまずいことになってたって。それが一昨日のこと」
そのへんは俺にも何となく思い出せた。
だが…二日。
そんなに寝ちまってたか。
ふと、尋ねる。
「ナナがここに来なかったか」
少し間が空く。
「ナナちゃんは…」
俺の目を見て言う。
「一昨日の夜、健吾くんの携帯から電話が掛かって来て…出たら、女の子だった。多分ナナちゃんだと思う。多摩病院に健吾くんが居るから、宜しくお願いします、って。」
ナナが…エミに電話を?
エミは視線を下ろし、
何か含んだような顔をして、迷っているように見える。
嫌な予感がした俺は、
少し軽くなっていた身体をすぐに起こし、
ベッドの側、テーブルの上にあった俺の服を弄る。
あった、鍵だ。
服もそのままに、病室を飛び出す。
後ろでエミが何かを叫ぶが、止まることなく院内を駆ける。
多摩病院…それなら、走って行きゃあ俺の家まで15分もかからん。
日が背を射し、汗が流れる。
人が皆、俺の格好を不思議そうに見る。
気にしない。ただ走り続ける。
だが、水道橋に差し掛かる辺りで、脇腹に強い痛みが走る。顔が歪む。
だが、足を止めることは出来ない。
体は本能に正直に、動いてくれた。
—-
階段を駆け上がり、二階。
すぐにポケットから鍵を出し、開ける。
息があがり、ドアノブを掴む手が震える。
そして、ゆっくりと扉を開く。そこには。
…誰も、居なかった。
梯子を上り、ロフトを覗き見るが、やはり居ない。
やや考えて、郵便受けを開く。
しかし、そこにあったのは、ナナに渡していた合鍵だった。
それはナナが家を出たという事を、憎らしいほどに物語っていた。
走ったせいで、倍の早さで脈を打つ鼓動と、せわしく酸素を取り込む肺を休ませようと、ドカッ、とソファーに座り込む。
不思議と、心は落ち着いていた。
エミの話を聞いた時に、
こうなるのはある程度分かっていた。
覚悟が出来ていたのだ。
机を見ると、折り畳んだ原稿用紙があるのに気付く。
手に取って、かさかさ、と開く。
そこには、ナナの流麗な字でこう記されていた。
「健吾さん、退院おめでとうございます。
私のせいでそのような怪我をしてしまい、本当に申し訳ありません。
言葉に表せない程、後悔しております。
私が健吾さんと居なければ、この様な事は起こりませんでした。
健吾さんが外に連れてってくれたあの夜、私は帰りが遅くて心配になり、健吾さんを探しに行きました。
すぐに見つかりましたが、健吾さんは倒れていました。
側に居た人に、男にバットで殴られた、と聞いた時、すぐに分かりました。
私のせいだ、と。
もう通報をしてくれて、救急車も呼んで下さったみたいでした。
私は救急車に同乗させてもらって、一緒に病院まで行き、医師さんに話を聞きました。
今は意識が無いけれど、数日あれば目を覚ます。幸い、脳等に損傷は見受けられない、と聞いて、安心しました。
病室で、側で寝ている健吾さんを見て、健吾さんのもとを離れる決心をしました。
そんな時、健吾さんが先日、電話をしていたことを思い出しました。
私、なんとなく分かってました。
電話の相手は『夜の硝子』のヒロイン、エミさんですよね?
きっとその人なら、と思って、
健吾さんの携帯をお借りして、健吾さんをお願いします、と伝えました。
不躾ですが、迷惑を掛けたまま出て行くこと、どうかお許し下さい。
健吾さんと小説を書けた日々は、とても充実していました。
健吾さんと遊園地に行った日は、ずっと忘れられないと思います。
本当に、健吾さんに会えて良かったと思います。
きっと何処か違う場所で、健吾さんを応援し続けます。
健吾さんの小説が世に出るのを、楽しみにしています。
今までお世話になりました。』
一息に読んで、ソファーに凭れる。
ありったけの力で、ソファーの背を殴る。
笑い話だ。
ナナを守ると言っておきながら、これだ。
情けねえな、ほんと。
おそらく、ナナを探し出す事は出来ない。
人が本気で姿を眩ましたら、
個人の力じゃどうにも出来ない。
もう、会えない。
ふと、腹が減っている事に気が付く。
胃が音を立てて催促するので、
とりあえず何か作ることにする。
サンドイッチを作ろうと食パンを取ると、消費期限が1日過ぎている。
まあいい。
いつもの要領で、ささっと作る。
しかし、気が付けば4つ出来ていた。
思わず、呆れ笑いしそうになる。
まあ、腹も空いてるし、いいか。
ソファーに座り、黙々と食べていると、家の扉が開く。
エミが若干息を切らし、片手を膝にやってこっちを見ている。
「健吾くん、鍵閉めなきゃ…ってそうじゃなくて、安静にしてなきゃダメでしょ!何のんきにサンドイッチなんか頬張ってんの!」
怒り心頭といったご様子で、
俺の隣に座る。
そして、サンドイッチを取る。
食べるんかい。
一口食べて、エミが言う。
「…ナナちゃん、たぶん泣いてた。電話で話した時、ナナちゃんだ、って思ったから止めようとしたの。でも、すぐに切られちゃった」
ただ真ん前を見て、
俺は、そうか、とだけ返す。
何でもなさそうに、そっけなく。
部屋を見渡すと、綺麗に片付いていた。
俺の部屋とは思えない位に。
これからどんどん散らかっていくことだろう。
机の下を見ると、何かが転がっていた。
拾って見てみると、ナナのペンだった。
出てくなら、こういうもん忘れんなよ。
感情を抑えられなくなりそうで、
再びサンドイッチに手を付ける。
「早くしないと、手遅れになる。エミの言ったことは全部当たるんだな」
呟く様に言う。
しかし、不覚にも最後の方で震え声に変わってしまう。
誤魔化すようにまた、一口食べる。
エミはそっと俺の頭に手を置き、
ゆっくりと撫でてくれた。
また一口頬張るサンドイッチは、
少ししょっぱかった。
—-
エミが帰った後、病院にすぐに戻る気にはなれず、ただぼんやりとソファーに座っていた。
これからどうするか。
ナナと書いた小説、『165°』はたぶん心配は無い。
その内、刊行が決まったと電話が来るはずだ。
しかし、俺は書けない。
1年かかって書けなかったんだ。
何年かかって脱稿するんだろうか。
投げやりに笑いを飛ばす。
そんな時、またもやエミの言葉を思い出す。
「ナナとの小説も、自分のも、両方書けばいい」。
自分、つまりナナと俺の話を書く。
ナナとの……
俺は、気が付いた。
両方やればいい。
探せないなら、書けばいい。
俺が望む物語を書けばいいんだ。
…………
……
—-
本屋を探し回って、5軒目。
ようやく見つけた。
健吾くんの新作。
「1620円になります」
お金を払って、袋に入れてもらう。
5ヶ月前に、ナナちゃんと書いた『165°』を刊行した健吾くんは、より一掃注目を浴びた。
もちろん健吾くんだけじゃなくナナちゃんもなんだけど…
まあ健吾くんは元から名前が売れてたからね。
>>247
10%くらいじゃ無いでしょうか
そこに来て2ヶ月前、健吾くんの新作が刊行されると決まって、世間ではちょっとした話題になっていた。
よく知らないけど賞も取ったみたいで、どこの本屋も品薄なのは分かる。
でもこんなに歩かされるとは思わなかった。
大体、一冊ぐらいくれてもいいのに、と思う。
溜息をつきながら、帰路につく。
—-
気が付けば8時間、あたしはご飯も食べるのを忘れて本に没頭していた。
健吾くんとナナちゃんの話。
なんだかもどかしくて、健吾くんに物申したくなっちゃうくらいに。
やっぱり健吾くんはすごいよ。
物語は残す所、あと数ページになっていた。
夢中になってページを繰る。
しかし、最後の展開に何か違和感を抱く。
私が知っている健吾くんの話と、ちょっと違ってくる。
それでもページを繰る。
そして、最後のシーンになった。
締めの行にはこう綴られていた。
「君を見送った駅で、僕は今日も待ち続けるー」
やはり違和感を拭いきれずに、
少し考える。
そして、はっと気付く。
まさか健吾くん、君は。
—-
ああ、またかよ。
サインを求める女の子、数人。
適当にさらさら、とサインする。
はぁ、と溜息をついてしまう。
俺は毎日、ここに座っている。
俺の小説が刊行されてから7日、毎日だ。
朝の8時から20時まで。
よくもこんな無謀な事を始めたもんだ。
半年前の自分を恨む。
初日はそりゃあ退屈だった。
することも無くて、ただ文庫本を読む。
読み終わったら、ひたすら携帯をいじる。
だがそれでも充電は切れる。
しまいには通り過ぎる電車の数を数えていた。
3日目くらいになると、周りの人が、
俺を見てヒソヒソ話をする。
まあ仕方が無い。
一日中こんなとこに座ってる方がおかしい。
ところがありゃあ4日目の事だ。
大学生と思しき女の子の3人組が、
俺に声を掛けてきた。
「桜田健吾さん、ですよね?」
そうだ、と答えると、
きゃあきゃあと騒ぎ始める。
小説の締めと、何日も座っている事から、
判断したのだろうか。
サインをねだられたので、暇だったから綺麗に書いてやる。
そしてまた、きゃあきゃあと騒ぐ。
どこかで見た反応だ。
ところがその次の日、
俺を訪ねて来る人数が急激に増えた。
100人位は来たんじゃなかろうか。
その次の日はもっとだ。
恐らく最初の女の子、
もしくは誰かがリークしたに違いない。
でもまあ、気分は悪くない。
だが、段々と面倒になってくる。
次第に「またか」と思うようになっていた。
俺はその為にここにいる訳じゃない。
ふとナナの事を考える。
ナナはここに来てくれるだろうか。
というか、俺の小説を読んでくれるだろうか。
そもそも、今も一人とは限らん。
もしかしたら既に他の男と…
そう考えて、一人で頭を抱える。
するとまた、女の子が2人、話しかけてくる。
今日はハイペースだな。
さらさら、サインを書いてあげると、
女の子が尋ねる。
「ここでカナさんを待ってるんですよね」
カナと言うのは、小説のヒロイン、つまりナナの事だ。
これも、これまでに何回かされた質問だ。
ああ、そうだよと答える。
すると女の子は、ほらー、とか、やっぱり、などと言っている。
女の子がまた尋ねる。
「カナさんの事、今でも好きなんですか?」
これも何回か聞かれたな。
さっきと同じに、ああ、そうだよと答える。
すると女の子たちはまた、きゃあきゃあと騒ぐ。
俺は気づかれない程度の溜息をつく。
前を見ると、向かい側のホームに、
電車が到着していた。
ああ、今日は何車両目だっけ。
もう忘れちまったよ。
少し経って、また電車が動き始める。
少しずつ速度を増し、また次の駅へと走る。
俺はその電車の後を目で追い、
また、真っ正面に視線を戻す。
すると、同じように此方をじっと見ている女がいた。
俺は目をしかめる。
肩より下まであるストレートの黒髪。
健康的な膨らんだ胸、
そして……あの顔は。
あそこにいるのは、ナナだ。
「ナナ!」
咄嗟に叫ぶ。
横に居た女の子は、びくっ、と反応し、
周りの人は俺を見る。
ナナは…目を逸らし、駅の構内に入って行った。
俺もすぐに後を追う。
後ろで女の子達がまた騒いでいるのが聞こえた。
改札を通るナナが見える。
俺も同じようにして通りたい所だが、
それは出来ない。
俺はカードをいつものように駅員に差し出す。
半ば呆れ顔で、駅員はそれを受け取る。
頼む、早くしてくれ。
駅を出ると、やや遠くにだが、
まだ確かにナナの姿を認められた。
結構な速さで走っている。
俺も全力で走る…が、意外とナナは早い。
これは追いつけん。
思いついたまま、叫ぶ。
「ナナがいなくなったら、俺はどうやって小説を書くんだ!」
俺の我儘だ。
だがナナの足は止まる。
話くらいは、という意味だろうか。
俺は少し速度を落とし、
息を切らしながらナナのもとへ行く。
ナナの目の前で、言う。
「俺は一人じゃ話を書けん。そういう才能が無いんだ」
ついに言っちまった。
失望されるだろうか。
ナナは驚いたように、俺を見る。
「俺の出した小説にフィクションは無い。『夜と硝子』も、今回のもそうだ。だからナナがいないと俺は、小説が書けない」
ナナは黙ったまま、何かを言おうとしている。
やがて、口を開く。
「でも…それなら、私じゃなくても、他の人を好きになれば、書けると、思います。今更、健吾さんのもとへ戻るなんて」
お、驚いた。
なんて苦しい反論だろうか。
小説書くたびに、って節操なさ過ぎだろう。
ふぅ、と息をつき、言う。
「ナナ、お前がうちを出てどれ位経った」
「7ヶ月です」
すぐに返す。
「俺はその間、ナナを忘れたことは一度も無い。ただひたすら、今日の為に原稿に向かってきた」
俺もすぐに言ってやる。
「私だって忘れたことなんかありません!でも…迷惑をかけてしまって、まともに健吾さんと向き合えそうに無いんです」
「ありゃあナナの所為じゃないし、男はもう捕まった。心配せんでいい」
「でも、刑期を終えて出てきたら、また迷惑をかけてしまうかもしれません」
「そしたらそん時にまた考えりゃいい。引越しでもなんでもすれば良いんだ」
気が付けばナナの目に涙が溜まっている。
相変わらずの泣き虫だ。
「でも…」
ああ、もう面倒になってきた。
「でも」とか「迷惑」ばかりだ。
そんな口は、塞いでしまえばいい。
「!」
人目を気にせず、唇を重ねる。
俺の頬に、ナナの涙が落ちた。
「ん…」
ナナが声を漏らす。
10秒ほどで、唇を離す。
「俺はナナが好きだ。一緒にいてくれ」
ようやく言えた言葉は、やはりありきたりだった。
ナナはといえば、固まっていた。
やがて、言葉の意味を理解したように、
少し微笑んでこくり、と頷いた。
俺は、説明のつかない感情に支配されていた。
なんというか…まあ、要するに「好きだ」ということなのだが。
それとは、また少し違うのだが、
やはり言葉に表せない。
俺は赤くなった顔を隠すように、
帰るぞ、と言って歩き出す。
今はもう晴れやかな顔のナナが、
はい、と言って付いて来る。
俺の手に、手を絡めるナナ。
それをしっかりと俺が繋ぐ。
俺が少し、ぎゅ、と握ると、
ナナも同じように握り返す。
まるでバカップルのようなやりとり。
そんな今、この時間が、どうしようもないほどに愛おしかった。
—-
あと1分程で家に着くか、という所で
ナナが言う。
「健吾、さん」
ん、と返し、ナナの顔を見る。
しかし、俺から視線を外し、紅潮してしまう。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
思わず、くらっとしてしまう。
顔が熱くなっていく気がした。
こういう言い回しには弱いんだ。
ああ、と返事をする。
すると、ナナは笑っていた。
俺もつられて、笑みを携える。
ただ、不束者じゃあないと思うけどな。
家に着き、扉を開くと、
久しぶりに帰ってきたような感覚を覚えた。
だがナナは……散らかっている俺の部屋を見て、何か微妙な顔をしている。
「やっぱり健吾さんは、私がついていないと駄目ですね」
そういうこった。
俺にはナナがいなきゃダメなんだ。
もちろん口には出さないが。
ナナが早速片付けを始めてしまったので、俺は珈琲の準備をする。
すると、ナナが何かを思い出したように、声をあげる。
どうした、と聞くとナナは言う。
「私、この半年で物語を思いついたんですよ」
ほう。
「じゃあ、片付けの後で話してくれよ」
純粋に楽しみなんだ。
書きたいのもあるけどな。
「いえ、それが……7つほどあるんです」
マジかよ。
俺は笑いながら言う。
「全部聞くよ」
ナナもクスクス、笑って言う。
「覚悟してて下さいね」
今日からまた、忙しくなりそうだ。
終わり。
胸がキュンってなった
画面の中のお話って感じでリアリティがない
ヒロインがフラフラ居候してる
名前は漢字があててある方が良い
>>285
本当にその通りだと思ったけど
名前は漢字の方がいいっていうのは
なんだか意外だった
ありがとう
次があれば参考にするよ
おもしろかったぞー
またいつか何か書いてくれたら嬉しいな
>>288
こちらこそ読んでくれてありがとう
次もあると思うから付き合ってくれたら嬉しい
>>289
書いたけどボツにしました。
それともスレタイの事だろうか
最後は描写あるかなと期待して
脱いだことを反省する
>>291
いまいち投下しちゃいけないような気がする
桜田健吾と同じだね
ストーリーはイマイチだが読ませる表現を知ってるね
>>292
物凄く嬉しいです ありがとう
でも話についてはたくさん辛辣なレスがついてるね