はじめに言っておくと、この話は釣りなのかもしれない
今となってはお姉ちゃんが実在した人で、本当にあった話なのか私にもわからないから。
それでもよかったら、思い出話と懺悔をちょっと聞いてくれないか。
書き溜めないから時間かかるけどありがとう
小学校卒業までは割と順調な人生だったんだと思う。
でも中学生になったある日、毎日充実していたのが、本当に些細なきっかけで全部崩れてしまった。
リーダー格の女を敵に回してしまって、いじめられるようになった。
そのリーダー格の子とはクラスが一緒で、席が前後になってから仲がよくなった。
毎日、当時流行ってた手紙交換をして、お弁当も一緒に食べて、楽しかった。
でもその手紙交換がきっかけで、少し喧嘩になった事があった。
あの時私が折れて謝っていれば、あんな風にはならなかったんだと思う
内容は割愛するけど、本当にくだらなすぎて笑うようなきっかけでその子をはじめとするグループに目をつけられてしまった。
でも私が悪いとも思わなかったから、Aに謝ったりはしなかったし、陰口を言われているのを聞いても相手にしなかった。
でもそうすることで、余計に反感を買ってしまったんだと思う。
根回しされたのか、仲のよかった他の友達からは、A(リーダー格の子)に逆らうのがこわいからごめんと、絶縁宣言のようなメールや電話がいくつもきた。
そーなった記憶が…(´・ω・`)
田舎の学校だからとにかく噂も悪口も筒抜けだった。
気がつけば学年中の女子から総スカンだった。もちろん上辺だけ同調していただけの子達がいたのも知ってるけど、そんなことどうでもよかった。
毎日無視され、聞こえるところでボロカスに言われる。授業の二人一組やグループを作るときは決まってはみごにされ、先生や男子に心配、同情されてはじめて嫌々いれてもらえる。
殴られたり物を隠されたりすることこそなかったけど、少しずつ精神的に擦り減っていった。
それでも親に心配かけたくなくて、楽しいフリをして毎日学校に通っていた。
でもある日突然、朝家を出る直前にいつもの光景を思い出してまたあんな一日を過ごさなきゃいけないと思うと、吐き気と震えがとまらなくなって、行きたくない、と考え始めると一歩が踏み出せなくて、学校を休んでしまった。
そうしたら、とんでもなく気が楽だった。
あの教室にいないだけでこんなに違うのかと思った。
そこから3日程ずるずると休んでしまったけど、さすがや親に怪しまれるようになったから、また行ってみた。
行ってみると、嫌な空気の中で、絶縁宣言してきた友達が話しかけてきた。
自分のせいでもう学校来てくれないかと思った、本当に心配したと言って、謝ってくれた。
嬉しかった。また明日も来ようと思った。
でもその日の帰り、靴箱に手紙が入っていた。差出人はAたちグループの連名。
内容は、もう友達だと思っていない事。
だから今まで私に使った誕生日プレゼントや諸々のお金を返せというものだった。
丁寧に箇条書きで用途と金額を書かれてきるのを見て、目の前が真っ暗になった。
請求されたお金は数千円だったけど、払えるわけもなく、結局親に打ち明けた。
親は激怒して学校に連絡し、担任や学年主任も含めての話し合いになり、相手側の親御さんにも話がいって、その子達は酷く叱られたらしい。
泣いて反省していたと聞いて、これでもう何もなくなるかなと少し安心した。
でもそんなわけなかった。
私がチクったとわかり、当然余計に悪化した。
その騒動の直後、○○(私)と話すのは禁止、になったらしかった。
一瞬友達に戻れると思った子達も嘘だったのかと思うくらいそれまで通り、関わることがなくなった。
悔しさと、あの視線と空気の恐怖、何よりも辛さで、もう限界だった。
学校には行けなくなった。
習い事も塾も全部辞めた。
外に出ても同年代の女子に会うだけで震え、笑い声が聞こえるだけで自分の事を言われているのだと思った。
そうやって外にも出なくなり、立派な引きこもりだった。
ちょっと休憩ー
>>10
ああいう年代の女子特有の陰湿さって本当怖いよね
>>13
それは本当に思う。
でも男子と話したら話したでその時は気は安らぐけど、女子にはぶりっ子だとか言われて結局悪化したからなー何してもだめだった
続き
うちは元々あまり仲のいい家庭ではなかった。
父と母、どっちかがいないところでいない方の愚痴を聞かされるのが当たり前だったし、離婚に発展しそうになったことも何度もあった。
父は仕事が忙しくてあまり家に居なかったし、母も仕事と家事で忙しかった。
最初は優しかった家族も、一日中家にいて、何をするわけでもなく引きこもっているのが当たり前になってくると、少し邪険に扱うようになってきた。
特に母親は昔から感情的な物言いが多くて、ヒステリックになると手に負えなくて苦手だった。
近所の子達が登校する時間に布団にくるまる私を見て、○○さん家の○○ちゃんはちゃんとしてて偉いわね、なんて嫌味を言われるようになった。
私も母親も病んでいた。
なんでわかってくれないの、親だったら理解してよ!と泣く私と、やることもやらないで好き放題してる奴が何言ってるの、甘えるのもいい加減にしろ、という母親。
私は今までのストレスを全部母親にぶつけてたと思う。
怒鳴り合い、酷いときは殴り合いの喧嘩をすることもしょっちゅうだった。
本当にひどい家庭環境だった。
家族、特に母親との仲は悪くなる一方で、家にも学校にも居場所がないと感じていた。
学校の先生や心配してくれた友達から、メールが沢山来ていたけど、何故か返せなかった。気持ちは嬉しいのに重荷になっていった。
家族以外との接触を一切絶っていたから、着信音も電話やインターホンの音も恐怖でしかなかった。誰にも会いたくなかった。
死にたい、消えたいと毎日本気で思ってた。
>>23
当時の? 今のだったら後で書きます
とにかく家では母親の言葉が何より辛かった
泣いていると悲劇のヒロインと笑い、あんたなんか産まなきゃよかったと言われた。
死にたいと言うと、止めるのではなくて一緒に死のうと返された。
同年代の女の子が殺されたニュースを見ながら、こんないい子そうな子じゃなくてあんたが死ねばよかったのに、と言われた。
一番味方で、守って欲しかった親に、死ねと言われる毎日だった。
もちろん原因は私なんだけど。
私が親も病ませてしまってた。きっと本心じゃなくて感情が昂ぶってこんな言葉が出ちゃったんだと思う。
そんなわけで誰にも縋れないまま毎日過ごしていた。
死のう、死のうと頭はそれでいっぱいなのに、いざ行動に移すと途中で怖くなって失敗する。そんなことの繰り返しだった。
死んだ方がマシと思ってるくせに何もできずにだらだら生きていた。
過食と拒食を繰り返して身体もボロボロだった。
家族と顔を合わせないように生活していたらいつの間にか昼夜逆転していたし、用事がある時以外部屋から出なかったから、普段は自室でネットとアニメ鑑賞ばかりしてた。
そのネットで、私の中で転機となる出会いがあった。
たまたま知っていた小さな掲示板の適当なスレに書き込んだのがきっかけだった。
そこは全員コテハンの雑談スレだった。
よかったら住人にならないかと誘われた私は、暇つぶしになるかな程度の気持ちで自己紹介をした。
ありのままの自分をかたるのは恥ずかしかったから、名前も年齢も住んでいる場所もなにもかも嘘をついた。今では後悔してる。
ただ、顔も知らない人達と他愛ない話で盛り上がるのはとてつもなく気楽で、楽しかった。
次第に私は依存していった。そのスレが私の居場所になっていった。
飽きるわけもなく、そこに何ヶ月も毎日顔を出していた。
現実では引きこもりなのに、ネットの中では私は学校に部活に頑張る普通の女子だった。
毎日ベッドに横たわりながら、充電器に繋げっぱなしの携帯を狂ったように触ってた。異常だったと思う。
親に携帯を解約すると脅されては発狂してた。
ネットが自分の世界。私はそこで、別の存在として生きていた。
中学卒業するまで学校来なかったやつ思い出したわ
そのスレに誰かの紹介で新しい住人がきた。
ハンドルネームが花の名前だったから花とする。
花は当時13歳だった私の5つ上で18歳。
でも高校には通ってなかったと思う。
花は病気だった。
他の住人からメールで、花があまり長くないらしいと聞いてびっくりしたのを覚えてる。
なんの病気かは聞けなかったけど、病状の話をよくしていたからいつも聞いていた。
私を妹のように可愛がってくれたから、私は花をお姉ちゃんだと慕っていた。
誰にでも優しくて、皆に愛されているのが伝わってくる存在だった。
毎日死にたいと思っている私と対照的に、花はよく、生きたいと話していた。
大切な家族のこと、大好きな彼氏のこと。
彼氏に、病気が治ったら結婚しようと言われていること。
だから死にたくないこと。死がとてつもなくこわいこと。沢山色んな話を聞いた。
親を恨んですらいた私と反対に、そんな状況でも親が大好き、産んでくれてありがとうと言っている花が不思議だった。
花とはスレの中での交流だけじゃなく、メールのやりとりもした。
普通はサブアドを使うんだけど、花はサブアドを作っていなかったから直アドだった。
メールでもスレでも、花は私にいつも大好きと言ってくれた。愛情にも優しさにも飢えてる中で、この言葉は本当に嬉しかったし、救われた。
私も花が大好きだった。
大嘘つきな私だったけど、この気持ちは本当だった。
8月のある日、花が19歳の誕生日を迎えた。
スレ住人みんなでたくさんお祝いをした。
来年もお祝いできますように、ずっと生きてくれますようにと本当に願った。
でもその翌月、最近調子がよくないと書き込みをしているのを見て、急いでメールをした。
すると、もう6年病気と闘ってきたこと、皆に支えてもらってここまで生きられたこと。そしてそれは君にも。と言ってくれた。
最後まで諦めないと約束もしてくれた。
そして私に、生きて、うんと生きてね。大好き。と言ってくれた。
それからメールも書き込みも途絶えた。
皆で心配した。本当に不安だった。
そしてとうとうある日、スレの住人から短いメールが来た。
「花、駄目だったよ」
信じられなかった。
恐る恐る、いつものスレを開くと、花の姉を名乗る人物が書き込んでいた。
花が4日前に息を引き取ったこと。
よくこの掲示板の住人の話をしていたこと。
みんなには生きてほしいとずっと言っていたこと。
そして報告が遅れたことの謝罪、最後は感謝の言葉で締めくくられていた。
嘘だと思いたかったけど、携帯のIPアドレスは花のもので、それは間違いなく花の携帯から書き込まれたものだった。
たった数ヶ月の付き合いだった。
会ったこともない、写真でしか顔も知らないお姉ちゃん。
でもそのときの私にだれよりも優しくて、愛情をくれていたのは花だった。
現実の家族よりも大好きだった。
声を出して泣いたのははじめてだった。
頭は真っ白なのに、涙が止まらなかった。
人の死を身近に経験したことのなかった私にとって、こんな喪失感は初めてだった。
死にたいと思ってた。
人を恨んで、殺意だって抱いてた。
そんな私に生きるということ、そして死ぬということを教えてくれたのは花だった。
ネット上での関わりでしかなかったけれど、私にとっては本当に大きな存在だった。
でもひとつ言えるのは、花と出会わなかったらいまの私はいなかった。
生きてたかだってわからない。
傍から見たらばからしいかもしれないけれど、私にとってはそのくらい大きな出来事だった。
>>49
そっかー。
もしネットで花を知っている人が見つかればすごいんだけど、手がかりがないからなあ・・・
もちろん、ネット上での関わりしかなかったのだから、花だって本当に存在したという確証はもてない。
私みたいな嘘っぱちの存在だったとしても、なにもおかしくないけれど。
でも、もしそうだったとしても私は花に感謝します。
もちろん花が居たって信じているけれどね。
私は最初に嘘をつくべきじゃなかった。
あんなに膨らんで、どんどん大きな嘘になってしまって、皆を裏切ることになってしまっていた。
何よりも、大好きな花とありのままの自分で話ができなかったのが本当に情けない。
最低なことをしてしまったと、一生後悔していくと思う。
あのスレに関わった皆に謝りたい。
本当にごめんなさい。
花がいなくなってから、毎日泣いて過ごした。
生きたくても生きられなかった人を知って、死にたいなんて考えていたことを本当に後悔した。
死にたいだけの毎日から救ってくれたのは、家族でも、友達でもなくて花だった。
そしていま、私は花と同じ19歳です。
スレを立てた9月7日は、花の命日でした。
6年たって、なにもかもかわったけど、花のことはずっと忘れません。
会ったことのない、でも私の恩人で大好きなお姉ちゃんの話です。
下手くそな文章だけど読んでくれた人、支援してくれた人ありがとう。
これで終わりです
色々端折ったし説明不足だと思うけど読んでくれた人ありがとうございました。
忘れない限り存在し続けるよ
>>52
ありがとう
ずっと忘れないよ。
元気だせよ
>>54
ありがとう
今は元気にやってるよ。
一生懸命生きる
きっと1の気持ちはお姉ちゃんに伝わってたよ。
いつかお姉ちゃんの墓前で手を合わせられる日が来るとイイな。
俺もウチの娘達、今まで以上に大事にするよ。ありがとう。
>>1からそんなに思ってもらえて、花ちゃんも幸せだったと思うよ!
花ちゃんの分まで生きようね