古舘「外のジメリとした湿度に呼応するかのような、部屋の中はなにかこう
むっとした、異様な空気に包まれております
混迷の現代に残された、ただ一つの安らぎなのか
オナーニという名の近代オペラの序章が
今まさに始まらんとしているわけであります
怪しく光るブラウン管を前に、たたずむその姿は
四畳半の要塞に住む、ダースベイダーといったところでしょうか
今夜用意されたオカズは、ネット社会の落とし穴、真性ロリサイト
彼にとってオカズというよりは、主食といっても過言ではないでしょう
さあ準備は万端、まさに遠足の前夜を迎えた小学生状態
はたして股間のバナナは、先生おやつに入るんでありましょうか
おっと、マウスを左手に持ち替えたか
そして、残った右手でまずはゆっくりと
ん!?
ああーーーーー!!ああーーーーーーーっ!!もうイってしまった!!!
溜まっていたのか!? それとも単に早漏なのか!!??
キャンタマの中で熟成された、遺伝子のブランデーが今!
大きな放物線を描いて、大量に放出されております!!!
しかしなんという量でありましょうか!
お前は、お前はザーーメンの間欠泉なのかーーーー!!!」
すこ
部屋の中で放物線描いちゃイカンでしょ
バナナすき
おかずは主菜や
古舘の実況は芸術的だと思う
一瞬でよくあんな比喩が出てくるなと感心することしきり
ワイは三菱のCRTまだ使ってるやで
今なんて表現すれば詩的なんやろ
液晶としか言えんもんなあ
実際古舘の解説ってこんなすごかったんか?
プロレス知らんから分からんのやけど
そらこのレベルでポンポンアドリブ出しては来ないけども
用意してきたフレーズやら持ってるストックやらでトーキングブルース披露みたいになってるのは動画でよく見るやん
サスケでもすごかったしF1もすごかったぞ
ブランデーよりも金玉コニャックの方がthe古舘!って感じよね
ワイ将が改訂してあげたい
せやで
燃える闘魂とかのフレーズ考えた男やぞ
なお現在
バラエティ番組で20秒ほど実況したりしてたよな
あと1回だけ世界水泳やってた気がする
あいつは用意してくるのはいいが披露せな気が済まない性質だから嫌い
ここはお蔵にして黙る所、状況説明に徹する所とか、構わずうっとりポエムが始まる
塩原でなくて?
小川直也が故橋本真也のテーマ曲でハチマキ巻いて入場してきたのに一切触れずポエム朗読してたのは絶許
たぶん原稿読んでて絵面見てなかったか、事前に知らされてから作詞したせいで驚きの実況演出をすっ飛ばしたか
ノア実況や新日実況で慣れてるアナならそんな愚行はしなかったはず
古舘は下ネタとか一切言わんやつだろ
おしゃれカンケイでオナニーがなんとか言ってたぞ
ボキャブラリーは増やすこと出来てもそれを咄嗟に引き出せるかどうかは才能やろ
部屋にある壺とか適当なものをひたすら実況してたらしいで
>>83
>>93
はえ~…やっぱ才能ありきなんすねえ~
トーキングブルース見た事あるけど(ビデオ)
脳梁の太さが女より大きいらしい(基本的に男より女の方が遥かに大きい)
例えの技術とか参考にしたいわ
これ凄い
頭の回転早くて羨ましい
アナウンサーの入社面接は広辞苑の丸暗記披露やぞ
古舘伊知郎 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/古舘伊知郎
古舘の独特の語り方は「古舘節」と呼ばれる。
生年月日が1954年12月7日であるが、その約10か月前の同年2月19日は「力道山・木村政彦VSシャープ兄弟」の試合が街頭テレビで放送され、日本中が熱狂した日であった。そのため古舘は父親に「親父はこの日にやったのか?」と訪ねたところ「試合を見たのははっきり覚えてるが、その日にやったかは覚えてない」と言われたという。そのため確定はしていないが、古舘は一応この日を「自分が受精した日」としている。
母親と実姉は喋り達者であり、古舘は喋る隙さえ与えられず無口な少年だった。古舘は小学生になっても人前で喋ることが苦手、朗読の時間は寝たふりをしていた。小学生の頃、健康優良児を目指して食べまくった結果”無口のデブ”になった。いつになっても越えられない優秀な実姉へのコンプレックスから出会ったのがプロレスであり、200名以上のプロレスラーを丸暗記、そこに立ちはだかったのが母親で外国の俳優・女優の名前を全部暗記していた。こうして始まったのが、どちらかが言えなくなるまで続ける映画俳優vsプロレスラ-の記憶勝負、この対決が喋ることへの目覚めだったとしている。
いずれも立教大学の先輩である徳光和夫(元日本テレビアナウンサー)やみのもんた(元文化放送アナウンサー)に憧れてアナウンサーになった。アナウンサー希望で就職活動を始めた頃にNHKの就職試験を受けたことがある。古舘が得意とするユーモア実況の原点は徳光だという。
中学校に上がった古舘はみのに憧れるようになっていた。彼のように喋れるようになりたいと、みのの母校・立教高校を目指し猛勉強、合格を果たした。ある時、みのと会える機会があり「君なら絶対にアナウンサーになれる」と適当にあしらわれた言葉をかけられたが、古舘にとっては人生を左右する一言となる。テレビ朝日内定後、古舘はみのが所属していた文化放送に通い、みののカバン持ちをして彼の技を盗んでいた。
テレビ朝日入社から半年が経過した1977年初夏、古舘はプロレスの実況に大抜擢され、迎えた放送日、テレビから流れる自分の声を聞き、その当時の感動は忘れらないという。
野球の実況はできんの?
間が長いのは苦手なんかもしれん
やって欲しいけど
経験ゼロではないはず、バラエティ含め何かで見た気が
特に朝日放送の甲子園なんてポエム型やし
澤村炎上してほしい