俺の半生を語って行く act.1 【中学時代編】

ヽ ( うぇい!
ノ )
く く
厶\)
じゃあ書いてくとするかw
転載禁止ィィィィwwwwwwwwwwwwww
地元の小学校、中学校を卒業
中学時代に少しいじめに合う
高校は定時制に通いながらバイトをするが続かない
20歳の頃からYahoo!チャットにはまる
口癖は「ヤフーチャット万歳!」
>>10
どうせかそってるし
平成元年春
東大阪で生を受ける
兄弟は無し
東京生まれ東京育ちの母と
大阪生まれ大阪育ちの父のもと、
私立の幼稚園にすすむ。
小学校入学前には掛け算割り算はできるようになり、
習い事は、ピアノ、バレエ、体操、くもん、学習塾、絵画教室、歌の教室
って感じで友達と遊んだりは殆どしなかった。
ちょうどその頃、父親の浮気が原因で両親の別居が決定。
母は私を連れて、東京の実家に出戻った。
ので、私は東京の小学校に通うことになった。父には何の相談もせず、母の独断で勝手に東京の小学校の入学手続きを済ましてしまったらしい。
祖父は割と大きい会社の社長(現会長)だったんだけど、フリフリの格好させられて、取引先との会食やパーティーにもよく連れていってくれた。
祖母は、祖父とは違う会社で、テナント業をやっていた。
つまりビル貸し。
大体が池袋周辺のビルやマンションだったから結構儲かってたみたい。
電気代がどうとか電話代がどうとかヒステリックな程うるさかったし、何かしら金のことで毎日誰かと揉めていた。
そんな祖母が小さいながら醜く思えた。
そんな祖父母から生まれた母は、今でいうメンヘラに近い性格だった。
それと同時に母は酒に溺れるようになった。
朝5:00にベロベロで帰ってくることもあった。
酷いときは、酔って帰ってきて、夜中3時に起こされて「勉強しろ」って絡まれたりもした。
age
あ、ちなみに父は結局その浮気相手と再婚して今もラブラブなんですけどw
運動は本当に才能がなかったので、週一回テニススクールに行き、ピアノは先生が家に来てくれてた。
ただ、運動と楽器に関しては本当に才能が無かったみたいで、何の上達もしなかった。
ピアノは5年くらいやってたけど、エリーゼのために、しか弾けないし、テニスも素人レベル。
小学生だから頭がまるかったのかな。
学力はメキメキとあがり、学校のテストではいつも満点だし、塾のテストでもそんなに悪い点数を取ることはなかった。
サピッ○スていう厳しいで有名な塾に通ってた時期も、最上クラスに所属していた。
そんな結果の時の母の対応は酷いものだった…と思う。
実家には螺旋階段があるんだが、そのてっぺんから突き落とされたり、髪の毛を掴まれ引きずり回されたり、ヘアブラシで殴られたり。
幼稚園の時から度々あったし、暴力を振るわない時の母は、料理を教えてくれたり、服を買ってくれたりして、優しかったから。
大体が酔ってるか、怒ってるか。
今考えると、精神病だったのかもしれない。
だが、小学生だった私にとって、母親はただただ「苦手な人」になっていってしまった。
いや、周りの人達の成績が上がったのかもしれない。
ただ私は、「勉強がだるくなった」。
元々楽しくて勉強していたわけじゃない。
怒られたくないから、殴られたくないから、ちゃんとやっていただけのこと。
ちゃんとやっても殴られるのであれば、やらないのと同じだ。
軽い足取りで帰宅し、母に用紙見せると、暫くの沈黙の後に、無言のビンタが飛んできた。
なんで叩くの、の問いに
100点じゃないから、と答えた母の顔は、私にはのっぺらぼうに見えた。
しかし、そんな事は直ぐにバレるわけで。
ばれては殴られの繰り返しだった。
小5から家庭教師を雇っていたのだが、家庭教師の先生に勝手に電話して、今日は具合が悪いのでキャンセルで。って断ったこともあったw
そんな母親がいるのによくそんな勇気あったな
うん、今でも変に度胸があると言われる。
それでなくても元々ヒステリックな家族だ。
気づけば家は罵声、怒号で溢れていた。
母の生活にそういうサイクルが定着した。
外に飲みに出ないときは、私の勉強を監視しながら飲んでいた。
まさに酒浸り。
酔うと掃除もまともにできないし(掃除に関しては元々嫌いだったみたいだが)、朝も起きれないので、朝っぱら私が登校する前から、祖母の甲高い怒鳴り声が響いていた。
びっくりして「何してんの!!!」って言って2人の腕を掴んで無理やり引き剥がした。
2人ともハアハアと肩で息をしていた。
理由は特になく、いつもの喧嘩の延長線上だったようだが、こっちとしては気が気がじゃない。
その時は心から2人を心配した。
しかし、それからというもの、同じようなことが何回も起き、最初の内は心配してた私も「また?めんどくせえ」という冷めた反応しかできなくなっていた。
とにかく眠りを妨げられるのが本当にイライラした。
まだ健在ですw
だれだおまえ
家族の誰と話しても9割が喧嘩に繋がった。
面倒だからはしょるけど、祖父もいい加減ブチ切れて、出刃包丁で母を刺そうとしたり、ナイフを私の部屋のドアに突き刺したり、象牙のピアノをゴルフクラブでメタメタにしたり、とかの事件をいくつも起こしていた。
母の妹(つまり叔母)、優ちゃんだ。
優ちゃんは名前の通り優しくて、面白くて、永作博美に似てて、細くて、元ヤンだった。
ちなみに母は四人兄弟
長男
母
優ちゃん
次男
という構成です。
その時、わざわざ東京から大阪まで来て、私の母親代りになってくれたのが優ちゃん。
爪を切ってくれたり、耳掃除してくれたり、デパートの屋上で遊ばせてくれたり、すごく仲良しだった。
優ちゃんは晩婚だったため、ずっと本当の娘のように私をかわいがってくれた。
確か30台後半とか
ごめん。今計算したら優ちゃんは33歳で結婚して34歳で出産してます。
その時、優ちゃんに平手打ちをされた。
優ちゃんが私に手を上げたのはこれが最初で最後だった。
「お母様はいつも私をなぐるのになんで私はやり返しちゃ駄目なの」
「親だから」
いや、理不尽だろ、とは思ったけど、優ちゃんが本気で怒ってるのが分かったから、反抗しなかった。
上の子が今18、下の子が12かな。
そして私は24。
家庭は崩壊したまま私中学生になった。
中学受験前、二ヶ月くらいは家庭教師が泊まり込みで勉強して、小学校にも通わせてもらえなかった。めっちゃ太ったw
にもかかわらず、第一志望は落ち、神保町にある某女子校に入学した。
あまり仲良い友達もできなかったし、一部のバスケ部連中からいじめられた。
人見知りではないが、異常に空気を読めなかったせいだと思う。
いじめといっても暴力はなく、パシリが大半だった。
地下の自販機や購買まで5-6人分のジュースと昼食を買いに行く。
もちろんお金は私持ち。
で、その鬱憤をはらすため、私は担任の先生をいじめていた。
その先生は顔に大きめの黒子がふたつあったので(今思うと普通の好青年)、「ホクロ毛」って呼んだりしてた。
でもなぜか「ホクロ毛」だった。
そして残念ながら、そのニックネームは定着してしまい、教師イジメは徐々にクラス全体へ広がって行ってしまった。
ホクロは社会科担当だったが、黒板に日本地図を書いた時、半島をひとつ書き忘れ、私がこれ見よがしにそのミスを指摘したことが原因で、「ホクロ毛はきもいし馬鹿だ」みたいな風潮になっていった。
小さい声で「きもい」等の言葉を冗談混じりに言っていたのが、面と向かって「きもいので帰ってもらえませんか」になり、「帰れ」になり、「しね」になった。
ホクロの授業で当てられても無視だったのが、そのうち誰も教科書を出さなくなり、机を後ろに向けるようになり、ドアが開かないようになった。
私立ってどこもこんななのか
私が始めたのにズルいとは思うが。
保健室、屋上、屋上の脇の物置が私の居場所となった。
友達の少ない奴が行くところは大体決まっているようで、たまに別のいじめられっこと遭遇したりした。
そんな時は特に会話もせず並んでお弁当を食べたり、コックリさんをしたこともあった。
バスケ部連中もホクロいじめで満足していた様だったし、そのバスケ部グループでも1番強かった生徒に、ハワイのお土産をあげた事も起因していると思う。
別に媚を売ったわけじゃなくて、ただその子はとても美人だったから、あげたいなと思った。
まあ意図せずにして、私はいじめのターゲットを移す事に成功したわけだ。
望んでないけどね。
書けないなら嘘ってことで
嘘だろうがホントだろうが面白きゃいいだろ
お前VIP向いてないよ
ごめん。
いじめはなくなった。
成績もまずまず。
そして私にも何人か遊び友達ができた。
ただ私はグループに属することはせず、例えばヲタグループの中ではAちゃん、ギャルグループの中ではBちゃん、って感じで友達になって、遊ぶときは大体が2人きりだった。
あ、こいつ知ってるっていう人もいるかもしれんしw
マツ○ヨとかですぐ万引きしちゃう。化粧品とか、髪を徐々に脱色するミストとか。この時は私はお金に困ってなかったから、万引きに興味なかった。
親の財布からはお金抜いてたけどね。
あと、渋谷大好きな子も居た。
太ってるんだけど、顔はブスじゃなくて、よく学校サボって渋谷のカラオケに行った。
名前は綾とする。
この頃、渋谷のセンター街に、やたらと芸能界に詳しいおっさんがいることを知った。
そのおっさんはほぼ毎日同じ所にたっていて、若い女の子にジャニーズ等の裏情報を流していた。
嘘か本当かはしらないけど。
私はジャニーズにあまり関心はなかったけど、綾は嵐オタクだったから、そのおっさんによく喋りかけてた。
ほぼ毎日渋谷に行って、そのおっさんに私達の顔と名前も覚えてもらった頃、別のジャニーズファンの歳上(多分当時17くらい)の女の子達と仲良くなった。
この時私達は中2。
メールアドレスを交換して、渋谷でたまたまあった時クレープを奢ってくれたりした。
「塾があるし親が厳しいから行けない」
そういうやり取りが何度か続いた後、お昼久しぶりにお姉さん達に会った。
その時、親厳しいんだ??というような始まりで、会話の流れは私の母へ。
前述した母の素行を知った彼女たちは「え、それって虐待じゃん」と言った。
それには私も驚いた。
まさか自分が虐待されているとは夢にも思ってなかったから。
そう自覚してからの私はそれを母との喧嘩の武器にし始めた。
「これって虐待なんだよ」
「犯罪なんだってよ」
「通報してやる」
そのような私の言葉で母が怯む表情を見るのは何ともスカッとした。
ホクロ毛先生には一年生の終業式、先生が教室で机並べてるの見かけて、手伝って、謝った。
謝って済むことじゃないと思うけど。
悪かったとは今でも思ってる。
バスケ部のひとりに、「おいデブ邪魔なんだよ」と言われて足を引っかけられた。
なぜかその時、無性にイラついてしまい、その次の休み時間、その子の財布が剥き出しになっているのを発見、五千円札を抜き取った。
綾も共犯だった。
窃盗したのか
ですね。
まあ、すぐに大問題になって、小心者の私は、盗ったのは私です。とその日のうちに白状し、五千円札をその子に返した。
綾のことは言わなかったけど、一緒に廊下を歩いてるのを誰かに見られていたみたいで、綾が共犯なのもすぐにばれたみたい。
そして、私と綾は中2の秋、退学になった。
油断しすぎやろwww
机の着替えの上に置いてたんです。
祖父と優ちゃんの反応は憶えてない。
すぐに手続きをして地元近くの公立中に転入した。
転入初日、好きな男子が出来る。
生田斗真に似てるから、生田くんって呼ぶことにする。
生田くんは外面がとても良くて、転校初日とまどってる私に色々教えてくれた。
女子校で男慣れしてなかったわたしは直ぐにメロメロになった。
席も近かったし。
私立とは勝手が違い、セーターの色やスカート丈に規制があまり無いこと、挨拶は「ごきげんよう」じゃなくていいこと、部活は強制じゃないこと、何より勉強が簡単な事に驚いた。
転校を機に塾も茗荷谷に移った。
需要があるなら。
まとめさん、オッケーだそうです!
転校してから、私立の友達とは疎遠になった。
ただ生田くんやその周りの計らいのお蔭で、給食の時間等は会話に困ることはなかった。
その学校は、転入生が結構頻繁に来ていて、皆突然の転入生に慣れていた、っていうのもあるかもしれない。
その為、生田くんと仲良くなると、他の体育会系の男子も普通に良くしてくれた。
言っておくと、決してモテてたわけではない。
多分先生が「新しく来る生徒は私立から来るお嬢様だからしっかり面倒見てあげてね」とでも言ったのだろう。
ただただ「イケてない女子」だったと思う。
服も殆ど母が買ってくるものを着てたし、髪型も母が決めたものを、母の行きつけの美容院でしてもらっていた。
当時縮毛矯正が流行ってて、イケてるグループの女の子は皆「ストンっ」って感じのストレートだったが、私は毛先にシャギーを入れてて軽くうねってた。
加えて私は、とても早口で、空気が読めないため、女子の友達が全くできなかった。
空気が読めないから早口だったのかもしれないけど。
皆が嵐やKAT-TUNに騒いでる時も、私だけキングギドラと福山雅治が好き、とか言っていた。
あと、公立中の中では勉強は出来たので、勉強を教えてくれと頼まれる事もあった。
私が仲良くしていた男子の殆どが彼女もちで、その彼女の殆どが、女子カーストの上位グループだった。
そのせいで、私は女子の上位グループから反感を買うことになる。
めんどくさい女たちだな
そんな中でも、あんまそういうのどうでもいい、みたいなクールな女の子が居て、その子は気付けば毎日一緒に帰る仲になった。
船子と呼ぶことにする。
船子とは帰りしなに公園で喋ったり、学校近くの霊園で隠れん坊したりした。
あとたまに、コンビニで缶チューハイを買って飲んだりもした。
当時はまだ酒やタバコを買う時、年齢確認はされなかったのだ。
制服でも注意されなかった。
船子の先輩が吸っていたのだ。
1ちゃんも吸ってみ?みたいなよくあるノリで、まあ体良く言えば「吸わされた」。
習慣になってしまったのは自分のせいだろう。
そして、その先輩が私の初体験の相手でもある。
生田くんが好きだったが、叶わぬ恋だったため、適当に告白され、適当に付き合い、適当にセックスした。
痛すぎたのと、いきなりク○ニされたのが気持ち悪かったのと、終わったあとすぐ先輩がオシッコにいったのとで、セックスした次の日に別れを告げた。
初彼氏である。
勉強になったわ
中島美嘉をもう少し丸くさせて黒髪ショートヘアにした感じの明るく真面目な女の子。
美嘉と呼ぼう。
真面目と言っても、私の中では真面目というだけで、普通から見ればちょっと不良気味ではあったかも。
タバコは吸わないが、ブルセラしてたw
ご飯たべてきます!
了解!
保守するぜ
遅いなwww
ある日船子と公園に居ると、船子の友達が合流した。
木下優樹菜に似てるから優樹菜と呼ぶ。
金髪、ルーズソックス、超ミニスカ、付けまつ毛、濃い化粧、キティーサンダル。
見るからに「ヤンキー」といった風貌の優樹菜とは初対面だったが、私と同じ中学に在学しているらしかった。
ただあまり登校しないし、しても保健室だから、転入生である私は見たことがなかったのだ。
あ、ちなみに優樹菜は生田くんと中1の最初付き合ってたらしい。
今から病院行ったり洗濯したりするんで、更新ちょくちょくになっちゃっても大丈夫ですか?
構いませんよ!
優樹菜は粗暴なところもあるが、何でも正直にいう素直であっけらかんとしている性格で、少し憧れた。私と優樹菜はそれから公園等でよく会うようになった。
あ、あと前述した渋谷のお姉さん達は、親に電話番号消されたりして疎遠になりました。
まあ門限までに帰ればいい話なのだが、どうにも反発心が邪魔した。
今病院の待合室ですw
たしか長袖だったから冬だったと思う。
私は優樹菜と2人で家出をした。
寒かったのでとりあえず寝れる場所と、シャワーも浴びたかった。
優樹菜が携帯でスター浜という出会い系サイトにアクセスし始めた。
「中学生2人を泊めてくれる方」といった書き込みをしたら、くるわくるわ、メッセージの山。
今気付いたけど私1じゃないのに勝手に1の体で話進めてしまってる!!
ごめんなさい、>>10でした。
そうだったなw
>>1は今どんな顔してんだろwww
保守ありがとうございます。
>>136
一応実話です。
優樹菜がピックアップした優しそうで近場の男性と連絡をとり、ドンキで色々(制服じゃまずいのでスウェットとか靴下とか歯ブラシとかサンダルとか)買ってもらってその人の家へ。1dkくらいのアパートだったと思う。
なぜか私はその人に気に入られ、私達が寝ていると私の隣に来て、頭を撫でられたw
怖くて気づかないフリをした。
あと、時系列ぐちゃぐちゃになってしまうけど、家出する前くらいから母が自殺未遂をするようになった。
睡眠薬を酒で流し込んでいるようで、意識は無く、涙もおしっこも垂れ流し。
体拭いてあげて、パンツとか履き替えさせて、救急車を呼んだ。
ベッドのマットとかシーツを洗濯してる時、情けなくて涙が出た。
それも家出のひとつの要因だったのかもしれない。
私は少し具合が悪かったので寝ていたが、昼過ぎに優樹菜が「起きて、出ていくよ」と言った。
慌ててる様子だったので、急いで用意をし、昨晩買って貰ったものを学生鞄や紙袋に詰め、男性の部屋をあとにした。
しばらく歩いて目についた公園のアスレチックに腰をおろすと、優樹菜がウキウキした顔で紙袋から500円玉がたくさん入ったビニール袋を取り出し、見せてきた。
嫌な予感は大抵当たるものだ。
男性の家のキッチンにあった貯金箱の中身をそっくりそのまま持って来てしまったらしい。
数えたら9万くらいあった。
9万なんて中学生からすれば大金だ。
数時間すると、私の罪悪感も次第に薄れ、二人で美容院に行った。
優樹菜はエクステを付け、私は胸まであった髪の毛をバッサリ切ってショートにした。
私はチビポッチャリの色黒で、黒髪ショート、スウェットも黒だった。
意図したわけじゃないが、周りから見たら凸凹で滑稽だったと思う。
その後、優樹菜が埼玉の某最小の市に行こう、そこに友達が居るから、と言ったので電車に乗り、そこへ向かった。
着いたのはもうとうに日が暮れてからだった。
友達どこにいるの?と聞いたら、知らん、連絡先も知らん、とのことだったので、とりあえずコンビニの前でタバコを吸って時間を潰した。
教科書等の邪魔な荷物は、その某駅のコインロッカーへ。
要らないのになぜ捨てなかったのか、今でも謎だ。
本当ごめんなさい。
ちなみに貯金箱の男性からは、警察に言うみたいなメールが来てたような来てなかったような…曖昧ですいません。
当時中1(二歳下)の男の子達だった。
事情を話すと、その中のひとりが「俺の家たまり場だから来なよ」というような事を言われ、言われるがままにその誘いに乗った。
この子をタケシと呼ぶことにする。
タケシは三人兄弟の末っ子で、次男がゴリ(高1)、長男がケン(高3)だった。
タケシの家は、平屋みたいな感じの集合住宅で、驚くほど汚かった。
これぞたまり場って感じ。
出入りは主にベランダからしてた。
洗濯機はドアの外。
トイレは和式で風呂もめっちゃ狭かった。
ならその当時もう未成年へのタバコとか規制きびしくなってたはずだが
どんだけ片田舎の話や
いや、都内で一日の乗降客人数が1位か2位の駅が最寄りでした。
ね、ませてますよね。
童貞だったみたいだけどw
多分お兄ちゃん達に憧れてたんじゃないでしょうか。
多分大袈裟。
その家庭は父子家庭で、お父さんは土方のような仕事をしているっぽかったけど、あんまり帰ってこなかったと思う。
一回優樹菜がそのお父さんに襲われかけてたw
優樹菜ちゃん大丈夫やったん?
襖を挟んで、私とタケシとその友達が寝てたんで、すぐこっちに逃げて来て、その物音で私が起きたんで大丈夫でした。
住人じゃない男の子たちが入れ替わり立ち代わり入ってきて、タバコ吸ったり酒飲んだり肩パン?したりしてた。
ほとんどが長男ケンの友達で、グループは全部で20人くらい居たと思う。
皆フリーターとかニートで、まともに高校に通ってる人は片手で数えられるくらいだった。
たまに女の子も来ていたけど、その女の子達は私たちと同い年が多かった。
ベランダ
ガラス戸ーーーーーーーー
部屋1(TV・お父さんの部屋)
襖ーーーーーーーーーーー
部屋2
扉ーーーーーーーーーーー
トイレ
風呂 キッチン
ーードアーーーーーーーー
洗濯機
こんな感じです
分かりにくい?
分かるよー
それだけ大人数の男の中に女2人が寝泊まりしていたら、間違いが起こってもおかしくはない。
簡単に言うと、ケンに襲われた。
皆が学校や仕事で出払っていて、優樹菜が近くのヨーカドーに遊びに行っている時に。
これが人生2回目のセックス。
痛かった。一回目とたいして変わらんやん、って思った。
ケンは体が大きくて力も強かったから、抵抗なんてハナから無理だったけどね。
書き込めてる?
何か混線したみたいです。
iPhoneなのですいません。
最後までやられたの?
はい、前戯もなく、いきなり脱がされていきまりぶち込まれました。
でも、回数を重ねるうちに、私は何か勘違いしてしまった。
好きになっていってしまったのだ。
しかも、周りの取り巻き共が「お前はケン兄の女だからな」みたいな事を言うので、余計に痛い女になっていった。
恥ずかしい。完全なる黒歴史。
日用品や下着類、生理用品は全て万引きで済ませた。
お金がないから仕方がない、と思うようになり、周りに居る人たちも日常的にそういう事をしていたので、感覚が麻痺していた。
これが大体4週間目くらい。
一日おにぎり一個が普通になって、極端に摂取カロリーが減ったのだ。
家出を終えて、実家に帰って体重測ったら56kgが43kgになっていた。
なのでケンの周りは皆見て見ぬ振りでした。
ケンと関係を持った事は話しましたよ。
最初黙ってたけど、ケンの友達からばれましたね。
それでもその家に住んでたのか…
もう疲れちゃったんですよね。
ハードな人生送ってきてるもんなあ
痩せてきて、私は自分のポテンシャルに気付いた。
それまで見た目を褒められた事など皆無だったが、徐々に「お前顔は可愛いよな」等の言葉を言われるようになったのだ。
ブスが少しモテると調子に乗るもので、ケンの友達のひとり(しかもちゃんと社会人してる人)に告白され、ケンに「もうケン兄とはやってられない、エッチもしない。今後そういう事はやめて」という内容のことを言った。
ケンは笑って見てた。
アブノーマルな事や、暴力はされなかったけど、とにかく性器をいじり倒された。
実際何人に最後までやられたのかは覚えてない。
その時点でもう全て面倒になってしまい、されるがままだった。
その事後、「好きだからあんなことしちゃったんだ。ほんとにごめん。」と謝られ、あろうことか、私をまわした男達をボコボコにしたのだ。
「俺の女に手だしやがって」みたいな事を言いながら。
私には拠り所がなかった。
優樹菜も私にイラつくことが増えたのか、口喧嘩をよくするようになっていた。
そう思い、優樹菜に家に帰ることを提案した。
もう潮時だ、と。
すると優樹菜はヤンキーならではの台詞を吐いた。
「タイマンはろうよ」
ちょっと笑いかけたけど我慢した。
「私にムカついてるなら私を殴ってもいいよ。でも私は優樹菜にムカついてないし、殴る理由がないから手は出さない」
タイマン?を避けるために考えた返答だったが、無意味だった。
ドアを出て直ぐの砂利の駐車場で思いっきりコテンパンにやられた。
殴られるのは母で慣れていたが、砂利が背中を擦って痛かった。
なぜいきなりタイマンという話になったかは、今でも謎だ。
多分、ちょっと遅い中二病?みたいな、ヤンキーぶりたい、みたいな感じだと思っている。
今振り返れるからまだ良かったなw
「大丈夫?本当ごめん。」
「別にいいよ。」
「まあでも昨日のでスッキリしたから仲直りしよ」
は?
いや、お前人のこと散々殴っておいてずいぶん偉そうだな、と思った。
でも、また「タイマンはろ」って言われたくなかったので、首を縦に振った。
傷が癒えて暫くして、私達は埼玉から東京までの道のりを歩いて帰った。
7時間くらい掛かったかな。
警察に補導されないように、隠れながら。
朝方、地元に着き、それぞれの家に帰った。
受けれなかった定期テストを特別に受けさせてもらったり、高校受験も間近にせまっていたので、塾の先生に特訓を受けたりして、普通の中学生に戻ったかのように見えた。
家出した後ろめたさから、母や祖母の言うことにも反抗せず、また、逆に彼女たちも、また家出されるのが怖いのか、前ほどは厳しくなくなっていた。
優ちゃんには泣かれた。
心配したんだよ、無事で良かった。って。
少年院に入った
北朝鮮に売られた
死んだ
売春宿で働いてる
夜逃げした
まあ当たらずとも遠からずって感じだけど。
その噂たちのせいで、私は余計に孤立した。しかも激やせしたものだから、薬でもやってるんじゃないか、という新たな噂も出てきた。
でも、面倒だったし、どうせもうすぐ卒業だし、何も否定しなかった。
見てる
そして私は優樹菜の性格が移ったのか、口も悪くなり、喧嘩っ早くなってしまった。
突っ張っていただけかもしれないが。
優樹菜はもとから不登校児だし、学校はよりつまらないものになった。
しかも、卒アルの撮影が家出中にあり、残念ながら、私の写真は不登校児と一緒に全体写真の右上に載ることになった。
お母さん生田くんに気があったんじゃね
うちの母も生田くんかっこいいって言ってましたね、そういえば。
生田くんとは今でもたまーーーに飲みに行きますよ!
成人式は激太りで演歌歌手さながらの貫禄だし、大学の卒業式は髪切りすぎ化粧濃すぎでオカマの風貌だった。
すまんがワロタ
中1のころは私立にいたし、早慶あたりを狙っていたが、2年間で色々と変わりすぎた。
結局私が入学を決めたのは東武東上線沿いの男女共学私立だった。
偏差値62、3くらいかな?
受験したのもそこのみ。
実際私は高校なんてどこでも良かったが、母はがっかりしていた。
その学校はピンキリで選抜クラスとか特進クラスとか成績順でクラス分けされてたんですが、そのクラス分けテストでたまたま上位10名に入っちゃって選抜クラスに入れられたんです。
たしか選抜クラスの偏差値は62、3だったと思います。
でも不確かな記憶だからもっと低いかも。
結局勉強ついてけなかったし。
卒業までの間、生田くんやその他男子とはよく喧嘩をした。
生田くんに机蹴られたこともある。
まあだいたいの原因が私。
例えば、生田くんの彼女(学年一美人の双子の片割れ。才色兼備)が同じ班だったんだけど、給食の時、食べれない物を大食漢の私のお盆に全部乗せてきてた。
その子はなんせ好き嫌いが多くて、結局1.5人前くらい私が食べることになる事も多々あった。
結構我慢してたんだけど、ある日「私ぃ~、お米苦手なのぉ~☆1ちゃん、全部あげるねっ☆」って言って米茶碗に自分の分移してきやがった。
さすがにイラついて、生田くんに「生田くんの彼女好き嫌い大すぎ。デートでもご飯屋さん選びに苦労するでしょ、あんだけ全部嫌いって言ってたら。あの人普段何食べてんの?芋?」って言ったら、生田くんがブチ切れた。みたいな。
センスあると思うwww
頭良いだけある
ある時、一時間目が体育の日に遅刻してしまい、一人で体操服に着替え、その後も普通に授業を受けた。
次の日、いつも通り登校すると、クラス中大騒ぎで、女子は何か話しながらこっちをチラチラ伺って、男子は大声で揉み合っている。
え、私またなんかやらかした?と思って考え込んでいたら、生田くんが、ひとりの男子生徒(キョロ充、野球部万年ベンチ)を引っ張ってきて、私の前で土下座させた。
それを遠巻きに見てる生徒たち。
よくよく事情を聞くと、昨日、私が一人で着替えてるところをムービーに撮って、メールで送りまくっていたとのこと。
そのメールが生田くんの携帯にも届き、それを見た生田くんは発信源を突き止め、よびだし、締め上げたらしい。
生田くんはハッキングなんていう高度な技術は持っていないので、「あのメール誰から来た?」って色んな人に聞きまくって調べたようだった。
ベンチのお腹には、大きい痣が残っていた。
私が遅刻したばかりに申し訳ないな…と心底ベンチを不憫に思った。
しかしその事件のおかげか、生田くんとのわだかまりも消え、他生徒達も「大丈夫だった?あいつ最低だね」など、野次馬根性で話しかけてくれ、また少し話せる友達が増えた。
いやいやいや
本当に良かったです。
端折ったけど、塾も中学も同じ男子生徒がいて、その子は当時仲良くなかったけど、今よく飲みに行って、その子のおかげで生田くんとも再会できたんです!
優樹菜は卒業式にも来ていなかった。
やっと中学時代終わったwww
乗りで書き始めたけど長いwww
そして全て本当にあった話です。
高校から現在要りますか?
欲しいです!
是非
面接に備えて早く、今すぐに寝ましょう。
こんな最低な人間の半生なんて読んでくれて…
ちょっと今から彼が帰って来るので、ご飯作ってもいいですか?
1時間くらいあくかもしれません。
スレ残ってたら又書きます!
彼だと…
おもしろいわ