宝物はA君から貰った大人の玩具

1: 投稿者:BS子 投稿日:2012/04/09 08:16:55

私は36歳の独身、自他共認める生粋のドブスです。
幼少の頃から同級生の男子や実の父親に容姿の事で罵られ、壮絶なイジメや虐待を受けてきました。
社会人になるまでそんな状態が続き、高校卒業と同時に父が他界し、ようやく過酷な日々から解放された喜びは今でも忘れられません。

卒業後社会人となった私は、幸い人間関係にも恵まれ、精神的にも安定した平穏な生活を送っていました。
昔から彼氏も作らず、生涯独身を貫こうと決意していましたが、社会人1年目の6月頃から「セックスってどんな感じだろう…」と性的な興味を持ち始めました。

それから悶々とした日々が続き、乳首やアソコを軽く刺激したりとオナニーも始めるようになりました。
日に日に欲求が高まり、お盆休みの真っ只中の昼間、当時全盛期だったテレクラに初めて電話をしました。
繋がったお相手は旅行関係の専門学校に通う1才年上の男性でした。
翌年の春卒業で、既にツアーコンダクターの内定も決まっているとの事でした。
彼(以下A君)はとても気さくな性格で、話し下手な私でも自然と会話が弾み、凄く楽しいを過ごしました。
電話番号の交換をし、暫くA君と電話で話す日々が続きましたが、あくる日
「会わない?」と打診されました。
私もA君に会いたい気持ちは満々したが、容姿の事を考えるとどうしても二の足を踏んでしまう…
どうしょう…
悩みに悩んだ結果、嫌われても仕方ないと開き直り、醜い容姿や醜い容姿に纏わる過去のエピソードを全て告白しました。
それでもA君は
「全く気にしない、私の姿を見てもその場で絶対帰らないと誓う」
と言ってくれたので、意を決して待ち合う事にしました。

某日、緊張感で心震わせながら待ち合わせ場所に到着すると、既にA君は待っていました。
見た感じは短髪とカジュアルな服装が似合う爽やかな印象でした。
A君はすぐに私の存在に気付き、笑顔で声をかけてくれました。
まず夕食を…と、レストランに入ったのはいいものの、まともに顔を合わす事さえも出来ずにモジモジしてた私にAさんは、電話で話してた時と変わらない態度で親しげに接してきました。
そんなA君の心遣いのお陰で緊張はすぐに解け、色んな話しで盛り上がりました。
生まれてから生の男性とここまで笑ったのはこの時が初めてでした。

夕食も終え、A君が「これからどうする?映画?それともカラオケ?」と行く先を悩んでいる最中、私はホテルに行きたいと提案しました。
その言葉を聞いてA君はかなり驚いてましたが、私はどうしても行きたいと頑なになってたのでホテルに直行しました。

部屋に入るやいなや、感極まって私からAさんを押し倒すと、すぐさまAさんは私の体に覆いかぶさり
「無理しなくていいから」とギュっと体を抱きしめ、優しくキスをしてくれました。
服を脱がされた後、お互い片手を握り合いながら、A君は額から耳、首筋にかけと優しく唇を這おわせ、おっぱいを愛撫してきました。
舌が乳首に触れた時、反射的に体がビクッとし思わず「アッ!」と声をあげてしましました。
その後A君はおっぱいを鷲掴みにし、緩急をつけながら乳首を巧妙に舌で転がせ、感じまくってる私は声を押し殺すのが必死で、ひたすら「ハァハァ!」と呼吸が荒くなるばかりでした。

その後Aさんは私の股間に顔をうずめて、愛液が溢れまくっている私のアソコをピチャピチャと舐め始めました。
舌の動きは徐々に速くなり、ワレメ周辺だけでなくクリトリスも激しく転がされたり指で刺激されたりして、頭の中が真っ白になり体の中のマグマが爆発しそうな快感を覚えました。
気が付けば「アッ!アン!ア~ッ!」と大胆に大声を張り上げていました。
こうしてA君のとろけるような愛撫は数十分続きました。

アソコの愛撫が終わるとA君は軽く私にキスをして「ここまで」と呟き、体を抱きしめました。
私は驚いて「最後までしてくれないの?」と問うと、
「まだ処女やんな?初めては好きな人にとっておいた方がいいで」と返されたので、
私は「今日A君と初体験迎えるつもりやったから大丈夫!お願い!早く入れて!」と切望しまくりました。

A君は散々迷っていましたが、最後に「本当にいいの?後悔しない?」と念を押して、勃起したおチンチンにコンドームを被せました。
緊張して固まってる私の体に、A君の硬くて熱いおチンチンが徐々に入ってきました。
奥に行けば行く程痛みは絶大になってきて、「いたあああい!!いたああい!!」と、頭を左右に振りながら声を殺すように叫び、A君の体に爪を立てながらしがみつきました。
痛みによる我慢の限界がきたら抜いて、そしてまた入れて…お互い汗だくになりながらその作業をひたすら繰り返し、最後の挿入でA君は人が変わったように鼻息を荒く立てながら腰を激しく振りまくり果ててしまいました。

果てた後もA君はおチンチンを穴から抜かずに、私の体に覆いかぶさりながら、ひたすら「可愛い、可愛い」と囁きながら顔中にキスしたり、ディープキスをしてくれました。
この時初エッチを経験した嬉しさよりも、A君が私に優しく囁きかける言葉や態度に感動してワンワン泣いてしまいました。
ここまで男性に優しくされたのは初めてでしたので…

泣き止んだ後我に返ると、アソコやシーツは血だらけで、処理するのにティッシュを何枚も使いました。
それから一時間程ベッドの上で話をした後、一緒にお風呂入りながらいちゃいちゃして、ホテルを後にしました。

それから私達は頻繁に会うようになり、セックスの快感や絶頂を感じるようになった頃には、一日何回も貪りあうようにセックスをしました。
俗に言うセックスフレンドという関係です。
場所も室内だけではなく、車の中や港の中、公衆トイレ、パチンコ屋の駐車場にある業務用冷房器の裏、他にも様々な場所で屋外プレーを堪能しました。

そんな逢瀬が半年くらい続き、A君は専門学校を卒業し入社直前だったある日こう告げられました。
「入社するとツアーで色んな観光地を廻らないといけないから暫くは会えない。これを俺の代わりにして」
と、バイブとローターをくれました。
ツアーコンダクターが忙しい仕事だと理解してましたが、A君と暫くセックス出来なくなると思うとショックでした。
A君が晴れて社会人となった日を境に連絡もパッタリ途絶え、何ヶ月後かにこちらから連絡しても何の音沙汰もなく、A君と再開する日は訪れませんでした。

この時A君がくれた大人の玩具は別れの意味だったとようやく悟りました。
体で割り切った関係だったとは言え、A君に好意を持っていた自分に初めて気付きました。
悲しみと虚無感にひどく駆られ、貰った玩具で毎晩のようにA君との日々を思い出しながら
自分を慰めていました。

暫くしてからA君への未練から脱却する為に再びテレクラに電話するようになり、フィーリングが合った男性と同年代から年配の方まで、次々と会ってセックスするようになりました。
大体はその日限りや2、3回会ったら疎遠になっていましたが、継続的に会ってくださる方もいてました。
中には当時大阪心斎橋の〇丁目劇場で活躍されてたお笑い芸人さんとも会いました。
(とても気さくな方で、セックスした後に「セフレになれへん?」と言われましたがこの日限りでした)

その他には、待ち合わせ場所に来てもすっぽかされたり、顔を見た途端断られたり、中には暴言吐かれたりと辛い思いも沢山しました。
ですが、この時は既にA君の事などすっかり忘れて、性依存症と言っても過言ではないくらいに、仕事終わってはテレクラ遊びにハマっていました。

そんな日々が続いてたある日、母親が病に侵され闘病生活が始まりました。
介護と仕事と家事の両立で毎日が慌ただしくなり、セックスから遠ざかった日が何年も続きました。
そして母が他界し、数年間は大人しく過ごしていましたが、半年前から性的欲求が蘇りはじめてサイトで男性を漁るようになりました。
ただ待ち合う前は写メールの交換が主流となっている現在、こちらの画像を送る度に音信が絶えたり、却下されたり…セックスどころか会うまでにも至らないという悲惨な状態です。
ドブスな上に歳をとって劣化した私には需要もないのでしょう。
結婚願望は今でも全くないので人生のパートナーは必要としませんが、このまま男性に体を触れられる事もなく一生を過ごすのかと鬱に入ってます。
なので今はA君から貰ったバイブ(すっかり年季も入って電池を入れても作動しない)で夜な夜なオナニーに耽っています。


以上です。
長文ならびに駄文申し訳ありませんでした。
ここまで読んで下さって有難うございました。




引用元サイト:
ナンネット
引用元掲示板:
泣ける話 > 宝物はA君から貰った大人の玩具

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